
久しぶりに台湾中部の苗栗県を訪れた。
以前に何度かご紹介させて頂いたこともあるのだが、苗栗市に浄覚院という尼寺がある。日本統治時代に習った流暢な日本語を話される住職の智道法師のご年齢は80代半ば、今回、お訪ねした時は、大勢の尼僧さんたちとご一緒に、仏教講義のご最中で、しばし授業の終了をお待ちした後に、お話をお伺いすることができた。
以前から、禅も念仏も修行は同じ、日本の仏教もそうでしょう? と仰っておられたので、今回は修行についてお尋ねさせて頂いた。たとえ少しの時間でも、坐禅をしないより、した方が良いですね? とお聞きしたところから、お話は始まって…
「坐禅には時間が要る。時間は大事です。無駄づかいはしない」
「修行には差別(違い)がある。真理を研究し、仏さまと同じように悟りを開くのが坐禅だ。(普通に)生活していると、心の中はぐちゃぐちゃだ。誰にも経験あるでしょう。これを静かにするのは念仏だ。南無阿弥陀仏だ」
「本を読んでも実際に坐禅をしないとわからない。だから出家はなるべく人に会わない。心を静める。心を静かにする。ざわざわの心を静める」
「坐禅には時間が要る。気を付けないと、幻にやられる」
ー「天台小止観に言う魔事(魔境)ですね?
「天台小止観、天台小止観、その通りです」
「仏教は仏さまの言葉だ。出家は出家から出家へと(師資相承で)、仏さまの話を伝えなければいけない」
さらに、私のペンをお取りになられて、よりよく教えを伝えようと、以下の言葉を書いて下さった。
念佛宗的修行者、一心念佛念至一心不乱、最後能見自性佛
禅宗的修行者、把自己心中的自性佛尋出来、「見佛」
そして、日本から持参した線香をお供養のためにお渡しすると、お顔に近づけて、線香の香りがした途端、お優しい、満面の笑顔を見せて下さった。
「台湾苗栗県奇聞 2」
も是非ご覧ください!!
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