耳ざわりなら聞き流せばいいものを、いちいち目くじらを立てるところが偏屈なのかも知れないが、「持っている」、「持ってますねえ」などという言い方、ああ、いらいらする。
今までも、「気づき」という言葉が、仏教の「気づき」= sati (念)と関係のないところで流行していることについて、注意を促させて頂いたことがある。
多少、宗教や信仰とも関係するところでは、「癒し」「共生」「オーラ」「スピリチュアル」「パワースポット」などという言葉を、仏教者が不用意に使うことに危険を感じるとも書かせて頂いた。
ついでに言えば、「テンション」や「モチベーション」が、本来の英語の意味と違う使い方をされているのも気になるし、何でもかんでもやたらと「立ち上げる」と表現するのも気に入らない。
小学生の時に、友だちの家に遊びに行って、そこのお母さんがお客さんに、このコップ敷き、台湾から取り寄せたんですよ、と言っているのを聞いて、ただ買っただけなのに「取り寄せた」だなんて、格好をつけた言い方だと思った覚えがあるから、きっと私の偏屈さは三つ子の魂だ。
という訳で、持っている、持ってますねえ、などという言い方をする人たちは、もうええっちゅうねん、持ってるとか持ってへんとか、そんなん、あらへんねんと言ってくれる人が周りにいないんだろうなあと、気の毒に思う。
ところで、「持っている」という、この表現、仏教的に正しくない心や事柄を助長させる危険性が、全くないとは言い切れない。
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