お坊さんのネクタイ | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 明治政府の方針で、僧侶の肉食妻帯、平服は自由ということになった今でも、酒肉に関しては、世間の目を気づかうお坊さんもおられるだろうけれど、平服すなわち法衣でない私服を着ることが、本来は戒律違反であったことに思いを馳せるお坊さんは、もう少ないのではなかろうか。
 
 何となれば、お坊さんたちが大事な式典などに法衣ではなく、スーツを正装として着用することは、もはや普通のことであるどころか、むしろきちんとした格好を心掛ける正しい礼儀であるという趣きすらあるのが現状だ。特に大学などで仏教について講じておられるお坊さんたちの中には、法衣ではなく、スーツ姿で教壇に立つ方の率が高いように思う。
 
 首元にネクタイが見えている状態で、背広の上から略衣と輪袈裟を着用することも、今では宗派を問わず、一般的となった感があるが、このスタイルには、ある種のキリスト教聖職者の服装の影響があるのではないかと思う。
 
 いずれも私には多少の違和感があるのだが、何度も言うように、もはやこれは宗派を問わず、一般的なスタイルとなっているので、ことさらに論うつもりは、さらさらない。冠婚葬祭すべて法衣で通し、背広を着用しないお坊さん方も多々おられるが、それはポリシーの違いと言うよりも、自身のスタイルに関する趣味の違い程度なのかも知れない。
 
 さて、何でこのテーマを思いついたかと言うと、「アジアの仏教と神々」(法蔵館)という本の、ミャンマー仏教について解説した章の中に、一時出家ではなく、長期間、比丘として暮らし続けているお坊さんの言葉が載っているのを読んだから、というだけのことなのだが…以下、その言葉を引用する。
 
「ロンジー(ミャンマーの伝統服)の着方も忘れてしまった。還俗しても、どうやって生きていけばよいかわからない」
 
 ロンジーの着方も忘れたというのが、例えでもなければ、格好をつけているのでもなく、純粋に、本当に着方を忘れてしまったということだけを言っているのであろうことが、私にはよく分かる。私がネクタイを結べないからだ。
 
                                おしまい。
 
 
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