少し前に日本で葬儀を頼まれた時、式場の会館が近かったので、歩いて行くと言ったら、それでは格好が着きませんのでお迎えに上がりますと、困った顔をされた。葬儀の導師が歩いて到着なんて、行脚僧が来たみたいで面白いのにと、私は思ったものだけれど。
自分の家はお寺でない一般在家だったのだが、子どもの時、自宅に来られる檀那寺の和尚さんはおじいちゃんで、自転車に乗って来られているのを、子ども心に大変好ましく思ったものだ。
日本でスクーターに乗るお坊さんを見かけることは、今では珍しくなくなったが、タイなどのテーラワーダ(上座部)仏教のお坊さんは、車や単車の運転をしないのは勿論、自転車にも乗らない。雲南方面の中国圏の山岳地帯の上座部僧が自転車に乗るという噂も聞くが、詳しくは知らない。
テーラワーダのお坊さんが車に乗らないと言っても、自分では運転しない、というだけで、トゥクトゥクやタクシー、公共交通機関などの乗り物に乗ることはよくある。それは徒歩の延長線上にあるからだろう(⇒「ホームページ アジアのお坊さん…お供養」)。徒然草106段に高野の証空上人の落馬の話があるように、日本でも明治以前のお坊さんが、馬に乗ったり、乗せてもらったりということは、あっただろうと思う。
四国のお遍路さんに、車で通りかかった四国の方たちが、乗りませんかと、乗車のお接待を申し出て下さることがある。いや、それでもやはり遍路は歩くべきだと思って、お断りするかどうかは各お遍路さんの判断によるけれど、お大師さんが歩いておられた時に、お供養の気持ちで馬に乗りませんかと言われたなら断らなかっただろうから、ご縁と思って私は途中から、乗せて頂くことにした。
さて、日本のお坊さんがお酒を飲んだり結婚したり、車を運転すると言うと、タイのお坊さんたちは驚くけれど、日本のお坊さんのように高級車を乗り回すのはともかくとして、 車を運転することそのものが、修行の妨げになるかどうかは微妙だ。車の運転を、sati(気づき)の訓練のために行うことは、十分に可能なのだから。
で、それやこれやを含めた上で、私個人の趣味として、自分自身がどこかに行く時も、世間の人からの見た目に関しても、お坊さんは徒歩が一番だと思う。
「目的に沿った方法で呼吸を調えれば、運動をしたり、車を運転したり、職場での仕事などが順調に出来るようになる」
アーチャン・プッタタート「観息正念」PDF版31頁
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