インドで出会った日本人のお坊さんと、仏教や瞑想のことを話していた時に、こないだね、悟りが来たんですよ、と言われて答に窮したことがあります。
悟りと言っても、もちろん一時的なものですよ、あなた、来たこと、あります? と聞かれて、さらに答に窮しました。
プッタタート比丘の「観息正念」日本語版、PDF版CDでしたら73ページ目辺りに、呼吸への集中による瞑想すなわち観息正念(アーナパーナ・サティ)によって、初期の段階で得られる冷静さは、真の涅槃ではない一時的なものではあるけれど、それは最終的に到達する涅槃の味わいの味見本のようなもの、一時的なものとは言え、ほぼ同じ味だから、繰り返し精進することによって、それが恒常的なものに、やがてはなるのだという意味のことが述べられています。
坐禅瞑想は良き師に就いて修行すべきだと言いますが、未熟な者同士がいくら未熟な体験を手探りし合っていても、もどかしいだけですね。
あのお坊さんの経験したものが、涅槃の風味だったことを祈ります。
※お知らせ※
タイの高僧プッタタート比丘の著作の
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」と
仏教の要諦の解説書「仏教人生読本」を入手ご希望の方は、
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」と
仏教の要諦の解説書「仏教人生読本」を入手ご希望の方は、