もどかしいタイでの暮らし | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 タイのお寺で上座部僧として修行中のこと。スクンビットの古本屋に立ち寄った帰りの路線バスで、一人の若いお坊さんと乗り合わせた。

 東部からの長距離バスが発着するエカマイ・バスターミナルに近いから、スクンビットの帰りのバスには地方からの上京者が乗っているのを見かけることがあるが、そのお坊さんも、バンコクの風景が珍しいのか、落ち着かない様子で窓の外を見ている。

 かと言って、若い割りに態度は甚だ尊大で、車内だというのに煙草を吸い、おどおどした、やっぱり若い寺男に、横柄に話しかけている。

 乗り込んで来た私に何か物を尋ねるのだが、私はまだ修行したてでタイ語も覚束ない上に彼の地方訛りがきつく、こちらが日本人だと言っているのに、手加減して喋ってくれる様子もなければ、もちろん英語は話せない。

 要領を得ないままに別れたはずが、何ヶ月もたってから、突然、僧坊のドアがノックされ、開けてみると、彼があの寺男と共に立っていた。

 タイ人である相手からすれば、私との会話から、私のいるお寺にたどり着き、寺に一人しかいない日本人僧の部屋を探し当てることなど、造作もなかったのだろう。

 けれど、やっぱりその時点で、私のタイ語は上達しておらず、彼が何をしに来たかすら分からない。私の口利きで一泊したいのかも知れないが、それを寺側に伝えて迷惑が掛からないのかどうかも判断できないし、いかにも僧侶らしさに欠けるこのお坊さんの挙動について、責任を取る自身も私にはない。

 結局、弾まない会話の中で、煙草ばかり吸い続けた彼らは、しょうことなしに立ち去った。

 先日も書いたように、当時は初めての異国暮らしに戸惑い、どうにかこうにか暮らせてはいても、一体、今、何がどういう事態で進行しているのか分からずにいることもしばしばだったのだが、あれから多少は場数を踏んだ今でも、海外に滞在している時というのは、そうしたもどかしさが常にある。

 そして今となっては、海外にいる時の、そのもどかしい感じが、実を言うと、案外、居心地が良かったりする。


※お知らせ※

タイの高僧プッタタート比丘の著作の
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」と
仏教の要諦の解説書「仏教人生読本」を入手ご希望の方は、


ホームページ「アジアのお坊さん」本編
も是非ご覧ください!!