子どもの時に、テレビで指差し確認というものを見て、会社や工場や家庭で、火の元良し、電気良し、戸締り良し、あれ? 他人が確認してくれるんじゃなくて、自分で口にして、自分で確認するんだったら、大丈夫な時は始めから大丈夫だし、忘れる時は忘れるんじゃないの? と不思議に思った。
大人になって、よく分かった。人はどんなに大丈夫なつもりでも、意識せずに行動していると、きっとうっかり物事を流してしまうから、指差し確認は、とても大事だ。
気づきだ、サティだ、坐禅だ、瞑想だと言いながら、私だって、いつもばたばた、分かってる、急ぎながらでも気づきを持ってるつもりだとか、今は時間が間に合わないからばたばたと、後で余裕のある時にサティに満ちた生活を、などと言い訳しながら、あれを忘れ、これを落とし、物を壊す。
サティだ、ラベリングだなどと意気込まなくても、ただ身の動きをゆっくりにするだけで、気づきは自動的に付いて来る。あ、今、物を落とした、ゆっくり動いてなかったからだ、あ、今、あっちの物を持って来るのを忘れた、ゆっくりこっちへ来なかったからだ、ほらね? ほらね? やっぱりゆっくり動けば整うでしょ? と自分に言い聞かせながら、落とした物を拾い続ける毎日だ。
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