タイでのテーラワーダ修行中、ラオス巡礼から帰った同じお寺のモンゴル人僧侶が、陸路での国境越えは容易で、タイ語は通じるし、人も風土ものどかだから、あなたも是非ラオスを訪ねてみるべきだと言っていた。
それから縁あって何度かラオスを訪れることができたが、ある時、天台宗がラオスにたくさん建てている小学校を見てみたいと思って、一隅を照らす運動総本部から資料を送ってもらったことがある。
資料と言っても所在地については地名の羅列しかなかったので、現地ルアンパバンのワット・シェントンというお寺で、若いお坊さんに尋ねたら、シェンメン村とフゥアイマート村の二つが比較的近いとのことだった。
確かにシェンメン村はメコン河のすぐ対岸にあり、時折、観光客も訪れるらしく、小学校もすぐ見つかったのだが、フゥアイマート村は上流のパクウー洞窟のさらに奥にあるという。
パクウー洞窟で小さなボートに乗り換え、狭い支流を進んだ奥にフゥアイマート村はあり、川岸の子供たちが集落に案内してくれたが、大人たちは誰もタイ語を解さない。もうこの頃には、こんなメコン河の奥まで天台宗のボランティア団が来たわけもなく、手間ひまかけて間違った村に来てしまったに違いないと思いかけていたら、村で唯一、タイ語を話す女性の教師が現れて、確かに日本人が建てたという学校に案内してくれた。
しばらくは彼女の通訳で村の人たちと歓談した。最初はご覧の写真のように、はにかんで緊張していた子供たちが、帰る頃にはずいぶんと打ち解けて、川岸で我先にと手を振ってくれたのを見て、こちらのボートの船頭さんも嬉しそうに大きく手を振り返していた。これは2006年初頭の、旅の記憶だ。
※2008年投稿分の採録です。