最近のテレビの影響などもあって、タイにカトゥーイ(おかま)が多いことは、一般の方にもよく知られるようになって来た。タイのカトゥーイ事情に関しては、私などが書かなくても、もっとタイ通でいらっしゃる方々の書いた文章が、簡単に見つかるだろうと思う。
ごく普通の日常社会にも、当たり前にカトゥーイが生活しているタイではあるが、かと言って、パッケージツアーで旅行する日本人が、カトゥーイと出会う率はどれくらいだろうかと考えてみたりもする。
明らかに男性なのに、化粧をして女性的な立ち居振る舞いをして、普通の仕事をしている人たちは、すぐにカトゥーイだと分かるけれど、まるで女性そのものの外見をしたカトゥーイは、私などにはなかなか見分けが付かない。
タイで修行中、寺中のお坊さんたちでマイクロバスに乗って外の法要に出かけた時、16、7歳の年頃の小僧さんたちが窓から路上を見て、あれは女じゃない、あれも女じゃない、あなたが女だと思ってるタイ人は、結構高い確率でカトゥーイだと、一所懸命、教えてくれた。
その頃、2人のスリランカ人のお坊さんと私の3人で、チェンマイに出かけたことがある。私だけがカタコトのタイ語、スリランカ僧の内の一人は英語も話せないという状況で、市内のお寺を参拝しようとうろうろしていたら、西洋人ツアーをバスに乗せて引率していたタイ人が私たちを見つけ、バスに乗せてくれたのだが、そのタイ人ガイドがカトゥーイだった。
長い爪、濃い化粧、束ねた髪、流暢とも思えぬ英語で下世話な冗談を言い、大はしゃぎなのだけれど、年配の上品な西洋人ツアー客たちは、大喜びで手を叩き、笑い、彼に乗せられるままに歌を歌う。
そんな彼が私たちを車から降ろして別れる時、今日はあなたたちのお世話ができ、良いタンブン(お供養)ができた、徳が積めたと真剣な眼差しで、目に涙を溜めて、合掌した。
タイのカトゥーイを見るたびに、いつも彼のことを思い出す。