知らぬが、ほとけ。 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 「知らぬが仏」という言葉は、知ったらショックな事柄を知らずにいる人を、知らない方があの人の為だよと、周りにいる第三者の面々が、蔭で囁いている言葉なのでしょうか。

 或いは、何も知らずにいる方が、つまらぬ世迷い言に心を煩わされなくて安寧だという意味なのか、勿論、本来の言葉の意味は前者なのだけれど、どちらにしても、知らぬが仏という言葉、いい言葉だなあと、私は思います。

 とは言っても、いやがることをわざわざ教えなくても、嘘をついてでも知らせない方が、相手のためだよとか、うっとしいことなんか、他人のことなんかお構いなしに、知らんぷりしとけば楽だよなどと言っている訳では、勿論ありません。

 心乱す事がらも、知らなければ存在しないも同然、苦しむこともありません。知らなくていいこと、知らなくても困らないこと、知っていても、どうと言うこともないことで、この世の中はいっぱいです。

 いやなことも困ったことも、仏教的には実体のない事がらなのだと明らめて、一切関知しなければ、心はすっきり晴れ晴れと、仏さまに近づけるのではないのでしょうか。

 不安や腹立ちや苦しみが心に兆したら、心の中で、知らぬが仏と唱えてみましょう。しがらみも苦しみも、人の悪意も何もかも、みんなみんな、知らぬが仏。

                                  おしまい。


タイの高僧プッタタート比丘の著作の日本語訳CD入手ご希望の方は、
タイ プッタタート比丘 「仏教人生読本」「観息正念」改訂CDーR版 頒布のお知らせをご覧下さい!!