傘を貸す話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 時折、お手伝いに行く大きなお寺で、雨の日に傘を持って来ない人が多い。思いがけない雨ならともかく、明らかに今日は降ると天気予報が言っていたり、既に朝から降っているような時でも、傘を持たずに駐車場から人が走って来る。

 車で来る人が多い立地条件のお寺であるからかも知れないが、傘を取り出すのが面倒なのか、一度傘を濡らしたら、仕舞う時に片付ける手間が掛かるからなのか、境内の他のお堂へ移動するのに、傘を貸しましょうかと言うと、大抵の人が快く借りてくれるから、必ずしも濡れても平気だから傘を持って来ないという訳でもないようだ。

 私自身、以前、山のお寺にお参りするのに、雨が降るような降らないような天気で、山道に手がふさがると面倒だ、お寺だから、万一、降っても置き傘を借りることくらいできるだろうと高をくくったら、案の定、雨に降られたことがある。

 そうしたらお寺の方が、傘ですか、ちょっとお待ちをと、大変親切に快く、けれどとても慌てて、ようやく忘れ物の傘を探して来て下さったので、当たり前のように傘を借りるつもりだった心を、その時、愧じた。

 よく観光地などで、土産物屋さんに屋号の入った傘が何本も置いてあって、どうせ宣伝か、帰りに何か買ってもらおうという魂胆だろうくらいに、人は大してありがたがりもしないけれど、雨に降られた時に傘を貸してもらえるのは、思わぬ雨に降られた経験のある者には、本当に有り難いことだ。

 よく法話などで引き合いに出される無財の七施、つまりは金品を施すだけでなく、笑顔を向けたり、優しい言葉を掛けたり、席を譲ったり、宿を貸したりするのも、立派な布施であるならば、傘を貸すのも、傘を持たずに来た人に、何で雨の日に傘を持たずに来たのかと、疑問を持ったりしないことも、誰かに迷惑を掛けないために、面倒がらずに傘を持って歩くのも、それぞれに施しであり、功徳を積むことではないのかな?