京都は暑いでしょうと皆さんが仰るのですが、私の生まれ育った大阪だって、昔から夏になれば連夜の熱帯夜がニュースになっていたものです。ただ京都が盆地で蒸し暑いというのは、確かなのでしょう。
けれど私にしてみれば、水と緑の多い京都の町は、歩いていても大阪よりずっと涼しく感じます。まして風鈴や簾や木造の家を目にするだけで、涼しさが倍増する気がします。
ちょっと引用が長くなりますが、桂米朝師匠の上方落語、「菊江仏壇」のマクラにも、「(昔の寄席は)今から想像されるほど、暑いもんでもなかったです。やはり風が通るようになっておりましたし、建物がこんな鉄筋やなかった。木と紙と土で、でけた家やさかい、そら違うんですな。やはりしのぎが。そこへ籐筵(とうむしろ)を敷いたり、すだれを吊りまして。で、風鈴なんかぶら下げたりするのも昔の人の智恵ですな。ちょっとの風でもチリチリという音がする。そうすると、ああ、風があるなあというだけで、涼しいような感じがいたします。白っぽいものや、透いて見えるもんのほうがやっぱり涼しいんですな。なんぼ冷房が寒いぐらいきいてる部屋でも、夏はやっぱり白いもんのほうが……。ラシャの羽織なんか着てられたら、見ただけで暑くるしいてたまらん。人間は気分ですな。」とある通りです。
日本のお坊さんの、紗や絽の透けた夏の衣を見て、涼しそうですねと仰って下さる方も多いのですが、和服を着る方ならお分かりでしょうけれど、夏の衣というものは、見た目ほどには涼しくないものです。皆さんがTシャツや短パンでいても暑い時に、何枚も着物を重ねている訳ですから。でも見た目って、大事ですね。
タイは暑いので、タイ人は噴水や水場が好きだと言います。インド人はいつも大きな樹の陰で休んでいます。綿の布で出来た上座部僧の黄色い衣は熱帯の風土に合っています。見た目の涼しさって、大事ですよね。人間は気分ですから。