「伊勢参り 大神宮にも ちょっと寄り」という川柳があるぐらいで、お伊勢参りは修行や参拝というよりも、道中や参拝後にこそ楽しみの多い、庶民の娯楽でもあったのだろう。いやいや、物見遊山や観光と表裏一体となった巡礼の姿こそが、日本人独自の信仰と精神世界を表すものだ云々と仰る学者さんも多いけれど、お伊勢参りが昔の四国遍路のような物悲しさとは裏腹の、陽気な世界であることは否めない。
さて何度も書いている、タイでの修行を終えた後に四国八十八ケ所を歩いて巡礼した時のことだが、満願後、お礼参りに高野山奥の院に詣でるのではなく、自分の本山やゆかりの寺院に参拝する方もあると聞いて、私は徒歩での伊勢参宮を思い立った。
育った大阪の町に伊勢街道の痕跡があるのを、小さい時から目にしていたこと、大阪から奈良へと越える生駒山のくらがり峠周辺の、民間信仰的な神仏に、お坊さんになる前に参拝しては興味を惹かれていたので、正しい仏法を学んだ今、それらの神仏に改めて対峙してみたいと思ったこと、あるいは神道学を学んだ後にお坊さんになり、当時は神仏習合がテーマだった自分の経歴の総決算、そしてそんな理屈よりも何よりも、上方落語「七度狐」なんかでおなじみの伊勢参りの旅を、実地で体験してみたいと思ってのことだった。
ところが遍路や巡礼、行脚僧を人々が見慣れている四国八十八ケ所と違って、よその土地では托鉢姿で歩くのも、野宿で夜を明かすのも、周囲に不審がられることが少なくなくて、なかなかに気を使ったりしたものだ。四国では遍路だと分かると、バス停で寝ていても文句も言われないばかりか、かえって気遣ってもらえたぐらいだし、通りすがりの小学生の女の子たちに、何十円かのお供養をしてもらったこともあったりしたのとは大違いだ。
だからお坊さんの世界では、行脚修行をするなら先ず四国を巡って、行脚に慣れてからにしろと言われる訳なのだが、そうして四国遍路の後に、四国以外の土地を行脚して、頭の先から足の先まで見廻されたり、不躾な質問をされて、何とか受け答えたりしたことも、今では私の血であり肉だ。
伊勢までの山中で出会った子供たちは、四国の子供たちのように歩くお坊さんを見慣れていなくて、興味津々で恥ずかしそうに私の後を付いて来て、中には托鉢僧を指す言葉が分からずに、「あ! 旅の、旅の、…お地蔵さんや!!」などと叫んだ男の子もいたりした。四国遍路の満願を、お伊勢参りで締めくくって、私は良かった。