テラワーダ仏教(上座部仏教)では午後に食事を取らないことは知っていたが、テラワーダ僧として修行するために、日本のお坊さん姿でタイに到着した私に、迎えに来てくれた現地在住の日本人の方が、あなたはまだテラワーダの戒律は受けておられないとは言え、もうこちらのお寺で暮らされる訳ですから、今日から夕食を抜かれたらどうですかと仰ったのだが、正直言ってその時は、えー、うそー、まだ心の準備が出来てない! と思ったものだ。
けれど、実際に体験してみると、夕食を抜くことは、そう難しいことでもなくて、正確には正午以降、翌日の朝食まで固形物を食べないのだが、段々と体も慣れてきた。
ある時、スリランカのお坊さんに、中国や韓国の大乗仏教僧は菜食だという話をしたら、でも彼らは夜に食事をするじゃないかと言われたことがある。そのお坊さんはちょっと頭の固い人だったのだが、夜に食事を取らないから偉いとか、肉を食べない方が立派だとかではなくて、そうした戒律を守る中で、いかによく身を整え、心を整えているかが大事だということは、言うまでもない。
ただ、定められた戒律の下に修行していることには変わりないが、ブッダ時代の戒律を守るテラワーダ仏教と違って、大乗仏教では戒律に多少の変化があり、中国以来の仏教は菜食になった代わりに、午後にも食事を取るようになった。
あくまで夕食は薬として頂くという意味で、中国系の大乗仏教ではこれを薬石(やくせき)と言い、或いは本来の食事をしない時間という意味で「非食」(ひじき)とも言う。ついでに言うと、正しく定められた時(とき)に食事を頂くという意味で、お寺の食事を「お斎」(おとき)と言い、非食を食べる夕食時間を「非時」と言う。
さて、タイのお寺でも、午後に食事をしないがために身体を壊したりせぬよう、固形物以外の果汁や牛乳などを取っても良いと教えられた。或いは噛む物は駄目だけれど、舐める物は良いということで、ガムは駄目だが、飴やキャンディーはOKだそうだが、これらは瑣末な戒律主義ではなくて、修行者たちの長年の蓄積と経験による回答なのだろう。体調の悪い時はに許可をもらって、午後に食事を取る場合も稀にあるとのことで、正に夕食は薬なのだ。
原始仏教以来、お坊さんには四依と呼ばれる衣食住薬の決まりがあって、食はお供養か托鉢で取り、住は樹下石上洞窟か、庵や僧坊に暮らし、衣はボロギレで縫った糞掃衣を着て、薬は牛の尿か蜂蜜、乳製品、油、砂糖などを服すように定められている。
午後に食事を取らないテラワーダ仏教も、午後の食事を薬石と呼ぶ大乗仏教も、やっぱり同じ基盤に立つ仏教の、違った形なんだなあということを、先日、私の僧坊に、日本人上座部僧のプラ・ユキ・ナラテボー師をお泊めした時、戒律に触れない範囲の、夜分のお供養とお接待をあれこれと準備しながら、つくづくと考えた。