これも差しさわりのないように、架空のおとぎ話ということで…。
長い長い巡礼の果てに、インドの僧院にたどり着いた。僧院に滞在中、日本から南方仏教のお坊さんを導師と仰ぐ巡礼の一群が、宿坊にやって来た。
あなた方日本仏教のお坊さんたちはご存じないでしょうけれど、南方仏教のお坊さまは厳しい戒律を守っておられて、午後はお食事を取られないから気をつけてねと、代表の女性が仰った。
ええ、存じております、私も巡礼の旅の途中、南方の戒律を受けて、修行させて頂いたことがありましてと答えると、その女性は困ったように、あらそうなの、今までこちらにおられた方たちは、あんまりご存じない方が多かったからと、慌てて言葉を濁し出す。
さて、礼拝堂での勤行で、そのお坊さまが上げるパーリ語のお経を聞いて、ああ、お釈迦さまが話しておられた当時のままの言葉で上げるお経だなんて、何て素晴らしいのかしらと女性が目を潤ませるので、ブッダの話しておられた言葉はパーリ語以前の古代マガダ語だなどという屁理屈は、胸の奥に仕舞い込んだ。
礼拝堂の本尊の両脇の壁には、世界中の人々が本尊の釈迦如来を仰いでいるような形で壁画が描かれていて、これも別の南方仏教僧の筆になるらしいのだが、例の女性が言うことには、ああ、いつ見てもこの絵は素晴らしい、こんなにたくさん世界中の人たちが描かれているというのに、見てごらんなさい、ここには日本人が一人も描かれていないわ!
ああ、なるほど、あなたがあなたの心の奥底で、あなた自身も気づかずに、受け入れられないでいるものは、きっと日本の仏教ではなくて…と言いかけて言葉を飲み込んでから幾年月、二度とこの方たちと会うこともなかったというのに、今だに時折り思い出しては、日本人と南方仏教の関係を考えるよすがにしているのだから、やっぱり袖擦りあうのも他生の縁だ。