台湾は日本とおんなじで、老人はバスがタダだから、日中に暇な年寄りがいっぱいバスに乗ってますと、台湾人の知り合いが笑って教えてくれたことがある。
けれど日本と違って、韓国でも台湾でも、路線バスに乗った人がバスを降りる時には、みんなが「ありがとう」という言葉を口にしている。国民性の違いはともかくとして、感謝の言葉を口にする習慣は、きっと心を良い方向に育てるから、たかがバスはと思わずに、きちんとありがとうは言うべきだ。
もちろん日本でもバスの降車時にありがとうと言ってる人もいるが、では東アジア以外のアジア諸国はどうかと言うと、タイ、特にバンコクの路線バスは、ご存知のように、みんながわらわらと飛び乗って、前ドア、後ドア、好きな出口から飛び降りるだけだから、誰もありがとうなんて言ってない。
インドの場合はどうかと言うと、タイの比ではないようなものすごい人数が押し合って車両に詰め込まれてる場合がほとんどで、やっぱりありがとうなんて、誰も言ってない。でも試しにありがとうと言いいながらバスを降りてみると、タイでもインドでも、運転手さんはみんなにっこり笑って返事をしてくれる。
さて、インドの仏跡・祗園精舎に行くにはいろんな方法があるが、私はその時、ラクノウからの長距離バスに乗ってみた。バスターミナルで、むくつけき一人のおじさんが、愛すべきキャラなのか、仲間にどつかれたり、叩かれたり、さんざんからかわれてて、大のおじさんがかわいそうにと思っていたら、その人が祗園精舎行きのバスの運転手さんだった。
しかし走り出した途端にその運転手さんは、今までのキャラとは打って変わった見事な技術でインドの悪路を頼もしく乗りこなし、休憩場所のチャイ屋では、外国人の私にチャイをご馳走してくれて、構わないよとクールに笑う。
降車時に懇ろにお礼を言ったら、おじさんはイエスという意味で、クールに首を横に振る。バスの旅は楽しい。