南インドのトリヴァンドラムにあるインディアン・コーヒー・ハウスという店は、螺旋形をした奇妙な外観で個人旅行者にもよく知られている。内部も螺旋形なので、客は斜めの床にしつらえられたテーブルでお茶を飲む。以前は「地球の歩き方 インド」にも載っていたが、現在の「歩き方」には地図上に店名があるだけで、紹介文は無くなってしまった。
長いインドの旅の果てにようやくコルカタまでたどり着いて、とりあえず久しぶりに少々高くてもおいしいものをと思って、たとえば有名なフルーリーズ・カフェに行ったとする。ああ、インドにもこんなにおいしくて快適なカフェがあるんだと、その時は思っても、よく考えてみれば、もしもここがインドでなかったら、そんなに特殊な店でもない。
反対にバックパッカーがたむろする、サダル・ストリートのブルースカイ・カフェはどうかと言うと、名前こそ格好はいいが、要はアジアのどこにでもある外国人向けのお店同様のメニューを並べただけで、取り立てて言うほどの店でもないし、とにかく狭い。
どうせ名前負けならば、いっそ、仏跡ナーランダにある、ただの茶店に毛の生えたようなナーランダ・カフェの方が、案外カフェの名に恥じず、くつろげたりして私は好きだ。
貧乏旅行原理主義者のバックパッカーのように、チャイはそこらへんのチャイ屋や駅のスタンドで飲む方がおいしいなどと決め付ける気は毛頭ない。列車内で子どものチャイ売りが売りに来るチャイだって、近頃はティー・バッグにホットミルクを注いだだけの代物だったりすることもあるご時世だ。けれど、どんな所で飲むにしろ、旅の途中で飲む一杯のお茶は、心を和ませるから私は好きだ。
禅にも「喫茶去」(きっさこ)という言葉があって、熱く議論を吹っかける修行僧に対し、老師が、まあ、お茶でも一杯と、さらりと返す有名な言葉、旅であれ、日常生活であれ、何だかんだと熱くなって我を忘れがちな時に、するりとシフトチェンジさせる間合いはとても大事だ。
そんなことを書くと、「喫茶去」はそんな意味じゃない、チャイの話と一緒にするな、そもそも禅というものは、公案というものはと、お怒りになる方もあるかも知れないが……やいやい言わずに、まあ、喫茶去。