病に苦しむ人たちの悩みに応えようとして集まりを催したお坊さんたちが、何の苦労も知らないあなたたちに何がわかるのかと一喝された話が、先日ある新聞に載っていた。
一般世間の問題に対して、人生経験のないお坊さんに法が説けるのかという疑問は、特に日本ではよく耳にする話だ。
結論から言えば、お坊さんにとって人生経験、社会経験はあってもなくてもどちらでも良い。あればあったなりに法を説けるだろうが、ないから法が説けないということは絶対にない。テラワーダ仏教のお坊さんであれ、日本仏教のお坊さんであれ、10代の頃からお寺にいて俗世間を知らずに修行を続け、世間の人々の様々な悩みに応えて安心を与えている立派なお坊さんを、私は何人も知っている。
仏法は普遍的な真理だから、正しく法を学び、正しく法を修めていれば、どんな問題にでも対処ができるはずだ。それを、ろくな修行も積まない上に、人生経験もないお坊さんが、ただお坊さんだから社会のために何かしなければと変わった活動を始めたところで、あんたたちに何がわかるんだと言われるのは、至極当然のことだと思う。
だから私は、お坊さんが世間の人の悩みに答えるために、カウンセリングやセラピーの勉強を始める風潮についても、全く納得できない。あなたたちにとって仏法は、それほど頼りにならないものですか?
お坊さんにとって人生経験、社会経験は必須ではない。だが僧侶としての経験や場数はいくら多くても多すぎることはない。人に法を説くために、お坊さんとしての経験、修行、それは必須だ。
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