インド仏跡 霊鷲山 あれこれ | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

イメージ 1

 インドのラージギルにある霊鷲山に、ブッダガヤ日本寺の駐在僧みんなでお詣りしたことがある。浄土真宗のH師が「ここで観無量寿経や大無量寿経が説かれたんですね!」と感極まった様子なので、意地悪な私が、でも大乗仏典はブッダの時代よりずっと後に書かれたのでは? と言うと、H師が曰くに、「わかってます! そんなことはわかってますけど、勝手に泣けて来るんだから仕方ないじゃないですか!」…今も霊鷲山に登るたび、H師のこの言葉を思い出す。

 かく言う私も日本での修行中に、老僧が霊鷲山から持ち帰った砂を自坊に祀っているのを憧憬の目で眺めたものだ。観経や大経などの浄土経典や法華経はもちろんのこと、般若心経も大本と呼ばれるテキストでは霊鷲山で説かれたと明記されているから、霊鷲山という名前は日本のほぼ全部の宗派に馴染みがあることになる。

 もちろん歴史上のブッダが活躍した仏跡であり、原始仏典、たとえば岩波文庫版の「神々との対話」「悪魔との対話」「ブッダ最後の旅」などにもその名は散在するから、つまりここはテラワーダであれ、大乗であれ、世界中の仏教徒が日々目にし、耳にしている聖地なわけだ。

 霊鷲山に登るには、向いの多宝山まで登山用のリフトがあるのだが、このリフト、どうしたものかしばしば途中で止まる。一番最近に乗った時も不調でなかなか動き出さず、動いたと思ったらすぐに途中で止まったのだが、困惑顔の西洋人旅行者をよそに、ダライ・ラマが乗った時も途中で止まったよとインド人たちが笑う、ここはのどかな聖地だ。