日本でお経を読む時に、いつもよく似た初期仏典の文句を思い浮かべながら読んでいる。
諸悪莫作 諸善奉行 悪いことをせずに良いことをすると
自浄其意 是諸仏教 心が清くなる。それがブッダの教えだ。(ダンマパダ)
自浄其意 是諸仏教 心が清くなる。それがブッダの教えだ。(ダンマパダ)
此日巳過 命即衰減 命は過ぎ減ってゆく。水の少ない所にいる魚とおんなじで、
如少水魚 斯有可楽 何の楽しみがあるのだろうか。 (ウダーナヴァルガ)
如少水魚 斯有可楽 何の楽しみがあるのだろうか。 (ウダーナヴァルガ)
諸行無常 是生滅法 すべてのものは移り変わる。生じては滅する。
生滅滅巳 寂滅巳楽 生滅の滅する所が安楽だ。 (ウダーナヴァルガ)
生滅滅巳 寂滅巳楽 生滅の滅する所が安楽だ。 (ウダーナヴァルガ)
三界唯一心 心外無別法 すべてのものは心に基づき、
心佛及衆生 是三無差別 心によって作られる。 (ダンマパダ)
心佛及衆生 是三無差別 心によって作られる。 (ダンマパダ)
我昔諸造諸悪業 言葉を慎み心を慎み、
皆由無始貪瞋痴 身に悪を行ってはならない。 (ダンマパダ)
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
皆由無始貪瞋痴 身に悪を行ってはならない。 (ダンマパダ)
従身口意之所生
一切我今皆懺悔
願従今身盡未来際 ブッダン・サラナン・ガッチャーミ
帰依佛両足尊 帰依法離欲尊 帰依僧衆中尊 ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
帰依佛竟 帰依法竟 帰依僧竟 サンガン・サラナン・ガッチャーミ
帰依佛両足尊 帰依法離欲尊 帰依僧衆中尊 ダンマン・サラナン・ガッチャーミ
帰依佛竟 帰依法竟 帰依僧竟 サンガン・サラナン・ガッチャーミ
無上甚深微妙法 人間の身を受けるのは難しい。
百千万劫難遭遇 寿命があるのも難しい。
我今見聞得受持 教えを聞くのも難しい。
願解如来真実義 仏に遭うのも難しい。 (ダンマパダ)
百千万劫難遭遇 寿命があるのも難しい。
我今見聞得受持 教えを聞くのも難しい。
願解如来真実義 仏に遭うのも難しい。 (ダンマパダ)
摩訶般若波羅蜜多心経 個体を構成する5つの要素(五蘊)に実体はない。(ウダーナヴァルガ)
羯諦羯諦波羅羯諦 生まれることは尽き、行いは完成し、二度とこのような生存を
波羅僧羯諦菩提薩婆訶 受けることはない。 (スッタニパータ)
羯諦羯諦波羅羯諦 生まれることは尽き、行いは完成し、二度とこのような生存を
波羅僧羯諦菩提薩婆訶 受けることはない。 (スッタニパータ)
願以此功徳 普及於一切 生きとし生けるものが幸せでありますように。 (スッタニパータ)
我等與衆生 皆共成仏道
我等與衆生 皆共成仏道
対照させているそれぞれのお経の意味が違っているとか、大乗仏教の真髄を理解していないのではないかなどと、ご批判があるかも知れないが、これはあくまで私の心の中だけの、ごくごく私的な勤行儀だ。
ところで、1991年7月8日付の「中外日報」に、先年亡くなったスリランカの元大統領ジャヤワルデネ氏の講演記録が載っていた。怨みによって怨みはやまないというダンマパダの言葉を引いて、日本への賠償請求権を棄却した事で知られるジャヤワルデネ氏は、講和条約締結に際し来日中に鈴木大拙氏と会談し、日本とスリランカの仏教の違いについて大拙に質問したという。大拙は、なぜ違いを強調するのか、世界中の仏教徒は仏法僧に帰依し、諸行無常、一切皆苦、諸法無我を奉じているではないか、各国の実践方法と文化や社会が違うだけではないかと答えたという。
私はこの記事を、お坊さんになりたての頃に、修行中のお寺の古新聞の束の中から見つけて読んだ。まだ右も左もわからず、アジアでの修行に憧れながら、まさか自分が本当にタイやインドで修行できることになるなどとは夢にも思っていなかった頃の、ごく私的な思い出だ。
※2012年3月26日に改稿しました。