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何年ぐらい前からでしょう。方々でお地蔵さんが盗まれる事件が相次ぎました。野の石仏、町の祠を問わず、お地蔵さんが盗まれては姿を消して行くのです。
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ここに一人のお坊さんがおりました。お坊さんは道端でお地蔵さんを見るたびに、必ず手を合わせて通り過ぎるのでありました。
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あちこちで起こった地蔵泥棒の話はあちこちの新聞が取り上げましたが、人々は誰かのいたずらか、けちな泥棒のしわざぐらいに考えて、気にも留めずにいたようでした。
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さて、お坊さんは小さい頃によくお地蔵さんとお話をして遊んでいましたが、大きくなるにつれてお話をしなくても、手を合わせるだけで十分だと思うようになりました。
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ある時、「魂のない石のかたまりに手を合わせるよりも、もっと自分が努力すべきだ」という意味の手紙が、これまで起こったすべての地蔵泥棒事件の記事の切り抜きと共に、あちこちの報道機関に送られてきました。さらに手紙は不敵にも、東京のどまん中で信仰を集めている地蔵を盗むと予告して、「地蔵に会えば、地蔵を殺せ」という言葉で締めくくっておりました。
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そしてお坊さんが逮捕されたのです。ふだんからお地蔵さんに執着を持っていたこと、にも関わらず知人に「お地蔵さんなんて石のかたまりに過ぎない」と常々語っていたことを怪しまれ、部屋から新聞の切抜きが発見されて、動かぬ証拠となりました。
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ところがこの一件は、まったくお坊さんのいたずらだったのです。お坊さんは地蔵盗難事件に世間が気づいていないことを深く悲しんでおりました。いたずらやけちな泥棒のしわざなら、あんまりお地蔵さんがかわいそうだと思い、石のかたまりに手を合わせるよりも、自分の心をこそ整えるべきだとする一人の犯人が、地上から石仏を抹殺しようとしたのであった方がいくらかましだと考えて、架空の事件を捏造したのだということでした。
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たしかに石のかたまりよりも、石のかたまりに手を合わせる人間の心の方が大事です。でも人間が手を合わせるための装置として、もうしばらく私たちにはお地蔵さんが必要ですとお坊さんが言いました。釈放されたお坊さんの談話が新聞に載れば、今までに盗まれたお地蔵さんの何割かは、そっと元の場所に戻されてくるかも知れません。
おしまい。