A.I. ARTIFICIAL INTELLIGENCE (2001)
『ブレードランナー2049』が人造人間を描く映画としても
SF映画そのものとしても全く食い足りなかったので
前にいつ観たか忘れるくらい久しぶりに『A.I.』を観ました。
スタンリー・キューブリックが1982年に原作『スーパートイズ』の映画化権を得て、
スティーブン・スピルバーグ監督が自ら脚本も手掛けた本作。
当時は話題になりながらもアメリカ本国の興行成績では製作費を回収できず、
日本で製作費の100億円を稼ぐ大ヒットになったのはハッキリ覚えています。
この素晴らしい傑作を救ったのが この日本というのが
映画ファンとして誇らしいです。
今では“A.I.”という二文字を目にしない日はないですが、
40年以上前から この作品の映画化を考えていたキューブリックと
22年以上前に実際に撮り上げたスピルバーグはさすが巨匠といったところです。
ボクはキューブリック監督の『シャイニング』と『フルメタル・ジャケット』は映画館で観たんですが、正直どちらもピンとこなくて、
『2001年宇宙の旅』は冒頭で寝てしまって全部は観たことありません。
その後で観た『時計じかけのオレンジ』には驚愕した記憶があって、
『時計じかけ~』だけでもキューブリックの凄さは実感してるつもりです。
この『A.I.』は『時計じかけ~』に通じるところがあるような気もしますが、
今回はスピルバーグ監督の演出に焦点を当てて書きたいと思います。
ハーレイ・ジョエル・オスメント君が主役なので
一見、母親と子供のハートウォーミングなスピルバーグらしい映画に見えますが、
ハーレイ君演じるデイビッドが人造人間なのがポイントで、
だから、ハーレイ君の悲しげな表情に胸を締め付けられても
ロボットだと分かってるから何か居心地が悪い気持ちになってしまって、
それまでのスピルバーグ作品みたいに素直に感動ができないところこそがポイントです。
ハーレイ君のロボット演技が完璧で素晴らしいです!!
母親モニカ役のフランセス・オコナーも凄くいい感じの女優さんなので
この母子のシーンは凄くいいんですが、子供はロボット‥。
しかももう助からないと思っていた夫婦の息子が序盤で帰って来るので
モニカに捨てられてデイビッドの辛い旅路が展開されることになる。
モニカの行動は酷いとも言えますが、
オコナーの演技でモニカが悪者までには見えないところが本作の救いでもあり、
逆にデイビッドにとっては救いが無いことにもなってしまいます。
労働やセックスの相手の対象だったロボット=人造人間に
‘人を愛する’という感情を初めて持たせたのがデイビッド。
冒頭のシーンで、ロボットにあたかも人間の感情を持たせることに対して倫理観を問うところがあるのが、現代における大きな社会問題を先取りしているといえます。
もう亡くなってしまいましたが、短い出番ながらロボットを作ったホビー教授を演じるウィリアム・ハートが素晴らしくて、このロボットを作ることが悪とは思えないところもポイントです。
その確たる理由も終盤ちゃんと語られます。
ジュード・ロウ演じるセックスロボットのジョーが登場してからは
デイビッドとジョーの逃避行になって
完全に二人(二体)の話になる展開のメリハリもいいです。
徐々にビジュアルが派手になっていくのもSF映画として面白いです。
マニアックな世界観というよりは、
けっこう目で見て楽しい未来の世界観になっているのがスピルバーグらしいと思いました。
観客を楽しませることをちゃんと意識してSF世界も作ってるんですよね。
コレなんか 手塚治虫のアニメのキャラみたい^^
クライマックスにいくにつれて映像の迫力が増していくのも素晴らしいです!
序盤こそ家庭内の話に終始しそうな雰囲気がありながら、
そのSFとしての世界観がだんだん拡大していって
真のクライマックスでは想像だにしなかった驚愕の展開と映像を見せられる
まさにSF映画としての面白さに溢れた傑作!!!
映画館で観た時は、クライマックスに登場したやつを宇宙人と解釈していましたが、
スピルバーグによるとA.I.が進歩したもの、ということで、
人類はA.I.に取って代わられたということになりますが、
A.I.が人類を滅ぼしたような描写が無くてよかったです。
結局人類は自身が生んだテクノロジーを活用し切れずに自滅したんでしょうね。
昨今の世界情勢と地球の状態を見ていたら
避けられない人類の帰結に見えます。
それにしても超未来とでも言うのか、
数千年後の未来のイメージって本作もそうですが
無機質なことが多いですよね。
まぁ 無駄なものを削ぎ落していったらこうなるのかもしれませんが、
人間同士が殺し合う地球の現状に辟易しながらも、
雑多な生物がひしめく今の地球は
何もかもが効率的になった未来から見たら魅力的に映るのかもしれません。
今回の観賞でそんなことも考えました。
デイビッドが身を投じるシーンは
その絶望した姿がまさに人間そのもので胸が痛くなる。
そう、人間であるということは
人を愛するとか美しいことばかりではない、
人生に絶望してしまうのも正に人間。
そんなロボットの哀しさを描きながらも
その中で人間が持つ可能性にも触れていたことに今回ハッキリ気づきました。
“夢を追う能力”があるのが人間だと―。
人類がなぜ滅亡したのかまでは明かされませんが、
現在の世界情勢を見ていたら、本当に滅亡してしまう気がします。
それでも、人間が持つ感情の素晴らしさを謳うメッセージに心救われます。
そして、それが限られた時間であっても
デイビッドが遂に救われるラストに、
やはり複雑な思いが完全には拭えないながらも感動できるんです。
今回久しぶりに観て強く感じたのは、
感情というものの素晴らしさや切なさよりも、
時間というものの概念は捉え方による、という考えでした。
ここも正にSF的であり、
残りの人生の方が圧倒的に短くなってきた今の僕には、
本作で提示された時間の概念こそが未来への希望になりました―。