長崎市に原子爆弾が投下されたのは
1945年8月9日の午前11時2分。
毎年この時間にサイレンが鳴り、黙とうを捧げていた記憶があります。
そんな原爆の恐ろしさを今も残すのが一本柱鳥居です。
ボクは‘一本足鳥居’と呼んでましたね。
前回のブログに書きましたが、カメラの充電が切れたので
スマホで撮った写真になります📱
一本柱鳥居はこのように、普通の住宅地にポツンとあるので
知らなければ気づかずに通り過ぎるかもしれません。
階段下りたところの道路は車の往来がけっこうあるので、
意識して横向いて上見ないとこの鳥居には気づきません。
今回自分自身初めて気づいたのは、
ここまで上がってきたことが実はなかったということでした。
だって、原爆で飛ばされてしまったもう片方が
ここに置かれていたことを知りませんでしたから。
だからこの先にある山王神社の存在も知りませんでした。
長崎に住んでいた子供の頃はネットとかなかったから、
自分の目で見た情報しか頭になかったんやと思います。
被爆しても力強い根を張り続けるクスノキ🌲
神社前の広場では小さな子供たちの歓声が響いてました♫
こんな平和な日常が 決して当たり前ではないことを胸に刻みたいと思います。
被爆した当時の写真が掲示されてました。
地味なところではありますが、
長崎を訪れた際は是非行ってほしい所やと、
今さらながら自分も行って思いました。
だんだん曇ってきましたが
これくらいの天気の方が、この鳥居には似合うかもしれません。
原爆が投下された日は暑く、
喉が渇いた人たちが油が浮いたような水を飲んでしまっていた、と
原爆資料館で観た記憶があります。
人の死体はまるで炭のようでした。
子供の頃にそういうものを見たし、
母親が被爆していた同級生が「原爆児と言われることがある」と言っていたのをよく覚えています。
だからボクの中では子供の頃から【戦争は絶対してはならないこと】なんです。
いまだに立ち続けるこの鳥居のメッセージは
これからもずっと忘れてはならないものやと思いました。