元経営コンサルタントが社会事業を興した、という本が書店で山積みになっており、思わず手に取る。

最近、こういう社会事業関連の本が非常に流行っていると肌で感じる。ビジネスパーソンの現実逃避あるいは理想主義が主な購買意欲ではないかと思うが、まぁそんなことはどうでもいいことだ。

本の中身は、社会事業に限った話だけでなく、経営全般に通底する示唆に富んでいた。一例をば。

◇社会事業では、「いいことをやってるんだから」という気持ちが強くなり過ぎると、独善や独りよがりに陥る危険がある。

◇人を動かし、参加してもらうためには理念だけではなく、「やってみよう」と思わせる無理のない仕組みが必要。

そして社会事業の在り方を考えさせられる言葉。

◇いい仕事をして、なおかつ経営能力があって、財政的にも成り立っている団体(NPO)であれば、一般企業と遜色ない給料をスタッフに支払っていたところで全く問題はないはず。

論理的に納得するのだが、心理的に微妙な抵抗感が残ってしまう。日本人にこの手の考えが多いらしい。この抵抗感、社会事業者に清貧を強いる心理が、日本で社会事業が育たない一因なのだろう。実際に社会事業を成功させた人の説得力ある発言が、自分の心理を含め、この風潮を変えてくれればと思っている。


“想い”と“頭脳”で稼ぐ 社会起業・実戦ガイド 「20円」で世界をつなぐ仕事/小暮 真久
朝から予定通り人間ドックに駆け込んだ。予約した段階では今日がWBC決勝などとつゆ知らず「やってしまった」と思ったが、検査の合間にワンセグで追いかける心積もりで入港した。

ところがなんと待合室にテレビがある!去年まで気づかなかったが今日は輝かんばかりに存在感を放っていた。当然、終始検査をしているわけもなく、大半の時間はまんまとテレビ中継を眺めることが出来た。

ところが9回裏、2アウトでいよいよ勝利という瞬間に検査に呼ばれる。さすがに試合終了まで待てとはいえず、歓喜の瞬間に心電図をとられるという屈辱を味わった。

と思ったら、戻るときっちり追いつかれていて歓喜の瞬間は先伸ばしされていた。追いつかれて嬉しいのやら悲しいのやら。とにかく、無駄に屈辱を味わったことだけは間違いない。

ちなみに終幕はとうとう人間ドック終了に間に合わず、結局はワンセグというのは実に微妙だった。
明日人間ドックに入港することになっているため、20時から断食が始まっている。

20時前に飯を食べたにも拘わらず、24時現在で既に苦痛を感じ始めるあたりに夜食のありがたさとメタボリックの元凶を知る。

今年は特に節制はしていないものの特に不摂生もしていないので良好な結果を望む気持ちがある一方、少なくとも外見から中身を推定すると良好になっているはずはないという諦めも頑強である。

ただ、自らの動物的な直感に頼るならば生命の危機に繋がる要素は体内に感じないので、まぁ法定検査と思って適当に受けて来ようと思う。

何とも当たり前のオチだが、腹が減っては所詮こんなもんだ。