一週間のアメリカ「旅行」が終わった。野球を観たしステーキを食べたしアバクロやコーチを買い占めたし、何より英語力に対する絶望感を存分に持ち帰ってきた。控えめに言っても充実していた。
まず痛感したことは、いかに日本がアメリカを真似ているかということであった。海外に着いた際にしかないあの特有の、物珍しさというか新鮮さというか、そういう何かが社会の仕組みから全く感じられなかった。
逆に、人は驚くほど違った。体格、皮膚の色という話ももちろんだが、言動、態度、行動様式(あるいは宗教観めいたもの?)、かくも違うかとしばしば驚かされた。
ゆえに最終的に最も不思議に思ったのは、これだけ米日で構成要員に差異があるにも係わらず、社会の器が同じ形をしていてそれぞれ日々が回っていることだ。いや、こと日本に関しては、回している、という方が語感がよいかもしれない。
どうやら、日本で暮らすということは、ほとんどアメリカに住まわされてるようなもんらしい。そしておそらく、それは日本の人々にジャストフィットする社会ではないような気がする。それがたった一週間の滞在によるちんけで浅はかな直感的感想である。
それにしても緑茶はおいしい。帰りの飛行機で、次の一週間に食べたいものを想像してみたら、1日3食では足りないことに気が ついた。
まず痛感したことは、いかに日本がアメリカを真似ているかということであった。海外に着いた際にしかないあの特有の、物珍しさというか新鮮さというか、そういう何かが社会の仕組みから全く感じられなかった。
逆に、人は驚くほど違った。体格、皮膚の色という話ももちろんだが、言動、態度、行動様式(あるいは宗教観めいたもの?)、かくも違うかとしばしば驚かされた。
ゆえに最終的に最も不思議に思ったのは、これだけ米日で構成要員に差異があるにも係わらず、社会の器が同じ形をしていてそれぞれ日々が回っていることだ。いや、こと日本に関しては、回している、という方が語感がよいかもしれない。
どうやら、日本で暮らすということは、ほとんどアメリカに住まわされてるようなもんらしい。そしておそらく、それは日本の人々にジャストフィットする社会ではないような気がする。それがたった一週間の滞在によるちんけで浅はかな直感的感想である。
それにしても緑茶はおいしい。帰りの飛行機で、次の一週間に食べたいものを想像してみたら、1日3食では足りないことに気が ついた。