一週間のアメリカ「旅行」が終わった。野球を観たしステーキを食べたしアバクロやコーチを買い占めたし、何より英語力に対する絶望感を存分に持ち帰ってきた。控えめに言っても充実していた。

まず痛感したことは、いかに日本がアメリカを真似ているかということであった。海外に着いた際にしかないあの特有の、物珍しさというか新鮮さというか、そういう何かが社会の仕組みから全く感じられなかった。

逆に、人は驚くほど違った。体格、皮膚の色という話ももちろんだが、言動、態度、行動様式(あるいは宗教観めいたもの?)、かくも違うかとしばしば驚かされた。

ゆえに最終的に最も不思議に思ったのは、これだけ米日で構成要員に差異があるにも係わらず、社会の器が同じ形をしていてそれぞれ日々が回っていることだ。いや、こと日本に関しては、回している、という方が語感がよいかもしれない。

どうやら、日本で暮らすということは、ほとんどアメリカに住まわされてるようなもんらしい。そしておそらく、それは日本の人々にジャストフィットする社会ではないような気がする。それがたった一週間の滞在によるちんけで浅はかな直感的感想である。

それにしても緑茶はおいしい。帰りの飛行機で、次の一週間に食べたいものを想像してみたら、1日3食では足りないことに気がついた。
今日は家で所用があり、少し遅い出社となった。

通勤路上に保育園がある。ここではいつも、今生の別れかと思うほどの別れの涙を流す子と、いつものこととめんどくさそうな親の光景が印象的だ。

しかし今日は登園時間を大幅に過ぎている。酷暑もあり、みんなでビニールプールで水浴びをしていた。

かわいくて仕方がなかった。

言い方は悪いが、そこで与えられる活力・元気を、人通りの少ない街に無駄に発散するのではなく、もっと効率的に社会に還元できないものだろうか。
この1年間、コンサルタントとしての全てを駆け、丹念に育ててきた企てがあった。

その遅々とした歩みは農業を思わせるものがあり、いつしか農業に喩えながらその全体像を捉えるようになった。恵みの雨もあれば、唸る嵐もあった。雑草とりに骨を折ることもあれば、待つ以外何もできないもどかしさもあった。全ての業に通底するものを感じ、戦い、そして味わい尽くしたころ、穂が垂れた。思えばそこが最も甘美な時間であった。

手塩にかけたその果実は、僕のものにならなかった。誰が育てたか、ではなく、誰が最も強いのか、が持ち主を決めた。それは当然のことで、備えは十分にしていた。だが、捨て身の敵は、ひどく強かった。

僕には、甘美な陶酔の跡だけが残った。何もないほうがずっと楽だった。

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残念ながら、僕は雇われの身だ。切り替えて次の田畑を育てろ、とすぐに社命が下る。

切り替える。何と簡単そうに聞こえるフレーズだろう。得意な人なら1秒すらも要さないのではないかと思う。だが僕は苦手だ。切り替えが早いことを望むなら、深入りも同時にしないことを許容してもらうしかない。でも、それは更に、僕にはできない。

常に仕事がある。実に素晴らしいことだと理解する。理解している。理解しているはずだ。

僕のビジョンが変わり始めた。いや、深層心理に従ってビジョンを描きなおし始めた、と言うべきか。僕が汗を流した農地は、これ以上ない触媒となっている。