社会人生活3年目が終わろうとしている今、思うこと。
・3年で3割、などという不穏な数字が当然のこととしてまかり通る時勢で、4年目に漕ぎ出そうとしている目の前の事実は予測し得ぬものだったが、いざ迎えてみるとさしたる感慨はない。あまりにも無為に流れていこうとしている。それはあたかも、昨日が今日になるように、今日が明日になるように。
・それにしても、石の上にも3年とはよく言ったものだ。石は確かに温まり、辛抱の意味を少なからず感じることができた。自画にも多少の賛辞があっていいかと思っている。今後、ひとつの石の上に4年も5年も居座ることは考え物だが、ただの安住でなければまだまだ忍耐する意味はあると感じている。3年を経て漸く、石の上で立ちあがれそうになったのだから。
・3年を一つの区切りにすべきということは、いろいろなところでよく聞く。僕も最近まで同調していたが、最近は考えを改めている。本意でなく3年耐えるくらいなら脱するべきだ。本意でなく3年で閉ざすくらいなら続けるべきだ。大事なのは本意に従うことだ。
3年目を終えるこのときは、まさに春だった。
・桜が咲いている。今年もまた、狂おしいほどに美しい。
・春を感じさせる眩しい光が降り注いでいる。全てに等しく優しく降り注ぐ光は、生命の息吹を連想させる。これほど露骨に偉大な愛を感じさせるものは他にない。
・春は別れの季節。長きにわたり労苦をともにした仲間が去ることは嬉しいはずがない。しかし、別れを惜しむ気持ちになる仲間を作れたことは、自他に誇れる僕の成果である。ありがとう(ございます)。
うむ、やはり春は素晴らしい。