2019年6月1日、元農林水産省事務官だった76歳の熊沢秀明氏が東京都練馬の自宅で当時44歳の息子を●害し世間を騒がせました。
被告側は正当防衛が成立するとして無罪を主張したが、高裁判決は「長男から危害を受ける現実的な危険が差し迫っていたとは言えない」と退けた。その上で、被告が発達障害の長男を長年献身的に支え続け、事件6日前に激しい暴行を受けたことを考慮しても「量刑が重すぎて不当とは言えない」として、懲役6年の刑が確定した。
なぜ父親は、息子に手をかけてしまったのか?
なぜ息子の人生が狂ってしまったのか?
息子は、中学2年生くらいから母親に暴力を振るうようになり、家庭内暴力は30年前から始まっていた。
本人の生前のSNSによれば、18歳〜20歳の頃から統合失調症と診断されたようだ。
その後、主治医が変わり「統合失調症」から「アスペルガー」に診断が変わる。
高校(中高一貫進学校)卒業後、日本大学に進学した息子が「製図の授業に拒否感があった」ため、代々木アニメーション学院へ進学させた。
卒業後、日本大学を退学、別の大学に編入させたのち、再度の代々木アニメーション学院への入学。
卒業のタイミングが就職氷河期のため、すぐに仕事が見つからない。
何か後で役に立つかもしれないから、技術を身につけるためパン学校に通わせた。
卒業後は母親の弟の病院会長が経営する関連施設に就職させたが、熊沢被告人がチェコ大使を退任する頃、退職した。
自身の発達障害や学校でのいじめが原因で人との コミュニケーションがうまく取れなくなっていたこともあり15年ほど前から無職となっていた。
母親が遺産相続した目白の一軒屋で 1人暮らしをし、近所の駐車場を所有してその収入で生計を
立てられるように息子の将来のために準備 をしていたようだ。
不老所得として、無職でも十分暮らしていけるだけの経済的な余裕があったようだ。
一人暮らしをしながら、ゲームを続ける毎日を送っていたという。
熊沢被告人は代わりに通院し、処方してもらった薬を息子のもとへ届け、月1でファミレスで食事をするなどしてコミュニケーションを図っていた。
さらには興味関心を伸ばそうという働きかけも行ってきた。
「やはり何か目的を持たせた方がいいと考えてコミックマーケット、いわゆるコミケに出品してはどうかと提案した。
(息子はアニメが好きで、絵が上手かった)
2回出品し、わたしは息子に与えられたスペースの前で座って売り子をしました。その後『もうこれ以上描くことがないから止めた』と……」法廷で熊沢被告人は語った。
それ以降、英一郎さんは「ゲーム中心、特にドラゴンクエストが中心の生活を……」送ってきたという。
そして、とうとう事件が起こる。
住んでいた一軒屋がゴミ屋敷になっていて、そのことで周りとトラブルになった。
本人は被害妄想で家に毒を巻かれたと言ったらしい。
息子が被害妄想で実家に帰る数ヶ月前から、父親がゴミを片付けようとすると帰れと怒鳴られていたようだ。
結局ゴミ屋敷になって、いられなくなり実家に戻った。
再び、家庭内暴力が始まり、息子に怯えながら、父親は妻と2回の寝室で 過ごしていた。
まず息子の精神を安定させ目白の家に戻すことを目標に、父親は2日後には目白の一軒屋に行って3時間ほどかけて
45Lのゴミ袋13袋ほどを片付けた。
さらに事件のあった6月1日、父親は拳を握ったファイティングポーズの息子から「●すぞ!」と言われたそうだ。
実家近くの小学校の運動会の騒音に「ぶっ●しに行く!」と激怒したり、4日前に起こった川崎市で小学校のスクールバスを 待っていた列に通り魔が突っ込んで20名の人を襲撃した事件を思い出し、父親は恐怖で震えた。
父親は息子の態度に、これは本気で●られると思い、 包丁を手に取って昼寝していた息子を襲った。
事件後、こうなる前に、父親は長男の件について第三者に相談できなかったのか?という声が多く挙がった。
事件後に、様々な専門家が意見を述べています。
以下、筑波大学の斎藤環教授(社会精神保健学)の文藝春秋のインタビュー記事を青字で引用。
斎藤氏は、精神科医として、30年前から不登校やひきこもりの問題に関わった大家である。
「お父さんはいいよね。東大出て、何でも自由になって。俺の人生は何だったんだ」
実家での同居を始めた翌日、被害者である息子は泣きながらこう訴えたとされている。
斎藤氏はこの場面こそが、状況を変えるためのターニングポイントだったと語る。
「何がそんなに悔しくて辛いのか――両親が揃って、息子と『対話』するべきでした。
ひきこもりを続ける人たちは、自分の人生を失敗だと思いこんでいます。
それに耐えられないあまり、失敗の原因を親だと決めつけて責めるようになるのです」
「何がそんなに悔しくて辛いのか――両親が揃って、息子と『対話』するべきでした。
ひきこもりを続ける人たちは、自分の人生を失敗だと思いこんでいます。
それに耐えられないあまり、失敗の原因を親だと決めつけて責めるようになるのです」
弁解も反論もせず、しっかりと聞き入れる姿勢があったか?
「子供はしばしば現在から逆算し、過去の不本意なことを全て恨んでしまいます。
もちろん全く身に覚えのないことについて恨みを言われることも多々あるでしょう。
多くの親はそこについ反論してしまいがちですが、事態を悪化させるだけです。
『そういう嫌な思いをさせていたなら申し訳なかった』と、弁解も反論もせず、しっかりと聞き入れる姿勢が重要なのです。
そうすれば子供は最終的に納得します。
熊沢被告は職業柄非常に冷静なタイプだと推測できますが、そうであるがゆえに、子供の訴えにまともに向き合う価値を感じられなかったのかもしれません。
経験から申し上げると、子供が抱える悩みをしっかりと聞いていけば、暴力などの攻撃性はかなり弱まります。
1度でも、父親が息子の話に真剣に耳を傾ければ、家庭内暴力の抑止に繋がったはずです」
両親が息子の問題を丸抱えにし、彼らまでもが家庭内にひきこもってしまったのは、明らかに間違った行動でした。
息子の殺害という最悪の結果に至るまでに、もっと出来ることがあったはずです。
「懲役6年」という長さは、その責任を反映したものだと見ることも出来ます。
では熊沢被告は具体的にどのような行動をとるべきだったのか?
そもそも熊沢家は、子供がひきこもりになりやすい典型的な土壌があったと考えられます。
家を不在にしがちだが精神的に抑圧してくる父親、そして過干渉の母親というペア。
高級官僚である父親の存在は、息子の劣等感を醸成した可能性があります。
一方で母親は教育熱心で、成績が悪いとオモチャを取り上げて壊すなど、行き過ぎた行動もあったようです。
しつけと虐待の境目が非常に曖昧で、この点では息子に同情の余地があると思います。
報道によると、息子は大学時代からひきこもりになりがちで、アニメの仕事を探したものの上手くいかず、熊沢被告が親戚のつてを頼って就労支援施設での仕事を見つけたそうです。
ところがその後、息子がインターネットに上司の悪口を書き込んだのが問題となり、父親自身が本人を退職させています。
息子がひきこもりに戻ってからは、息子のコミックマーケットへの漫画の出品を熊沢被告が手伝っていたこともあったようです。
この一連の行動は、一見、息子のためを思って甲斐甲斐しく世話を焼く父親と見えるかもしれません。
しかし、熊沢被告の息子への介入の仕方は一貫性がなく、その場その場の思いつきでやっている感が否めません。
寄り添いたいのか、突き放してしつけをしたいのかが分からない。
最も問題なのは、本人の自発性や主体性を尊重する姿勢が全く見られないことです。
公判の模様を伝える報道のなかで、私が注目したのは、熊沢被告から殺害した息子に対する謝罪の言葉が一切出てこなかったという点です。その代わり、被告人質問では次のような発言がありました。
「できるだけ寄り添ってきたつもりだが、思うようにならないつらい人生を送らせた。
かわいそうに思っている」
公判での話は、どれだけ自分は息子のために努力してきたか――という内容に終始したという印象があります。
それらの言葉からは「半人前の恥ずかしい息子が世間様に迷惑をかける前に、自分の手で始末しました」というニュアンスが、どうしても透けて見えました。これでは息子を所有物扱いしているのと同じです。
本来なら、息子自身の尊厳について触れる言葉があってもよかったはずですが、そのような言葉はありませんでした。
熊沢被告は、自分のとってきた行動がいかに息子を苦しめていたのか、最後まで気づくことが出来なかったのでしょう。
この点が私には残念でなりません。
これを読んで、中年の引きこもりや精神障害の家族を抱えている人は、どう考えたでしょうか?
仰ることは、もっともだ!と思った人います?
やっぱり、他人に自分の気持ちは解ってもらえないなぁと感じた方も多いのではないでしょうか?
話し合い?
無条件の受容?
自主性の尊重?
そんなこと!100回もやってみたよ!!
こんな風に、自分の意見を丸押し付けのアドバイスをする人がいるから、第三者に相談したくないんだよ
そんな声が聞こえてきそうです。
母親は法廷で、「アスペルガーに生んで申し訳ない」と語りました。
熊沢被告人は涙を流しながら「毎日毎日、反省と後悔と悔悟の毎日を送っております。
精神的な病を持って生まれてきた息子に、私としては寄り添って生きてきたつもりでしたが、大変つらい人生を送らせてしまって、かわいそうに思っています。
もう少し息子に才能があれば、アニメの世界に進めたと思います……」と語っています。
いろいろな意味で、両親ともが息子に対して謝罪したい気持ちがあったことを感じます。
息子の妹である娘を、自●に追いやった息子であるにも関わらず…。
斎藤氏がいう「半人前の恥ずかしい息子が世間様に迷惑をかける前に、自分の手で始末しました」というニュアンスや息子を所有物扱いしている感じは受けません。
息子の尊厳にかけて、息子が世間様に迷惑をかけるようなことをさせてはいけないと考えたように私には感じられました。
76歳の父親は、自分の死後に息子を一人残すことはできないと直観的に感じたのかもしれません。
息子と心中する覚悟があったように私には感じられます。
専門家や行政、医療機関に相談したり、あれこれ手を打って試行錯誤しながら30年も何とかやってきた。
でも、今回は本当に駄目だ!
打つ手なし!
そう感じたのかもしれません。
家庭内暴力に関しての助けを警察や行政に求めていたら、違っていたのではないかとも思いますが、当事者はそう考えなかったのでしょうね。
親に経済力があったため、過保護にし過ぎたのが悪かった。
突き放した方が、良かったという人も多くいました。
同じ立場にならないと、わからないことは沢山あります。
親は、子どもに自立した人間になってほしいと願います。
子育ての最終目標は、子どもを自立した人間に育てることであると言えるかもしれません。
自分のことを自分で決め、行動できるようになってほしい。
経済的自立だけでなく、感情的自立や社会的自立をして、その子なりに心身共に健康で幸せに生きてほしいと願います。
難しいときは、自立できるように何とか援助してやりたいと考えます。
他者がみたら、やることが愚かで滑稽、自立に逆効果に見えることでも、やってあげたいという盲目的な気持ちになるかもしれません。
自分ができることは何でもやってあげたい。
できることは少ないが。
親は、子どもが幾つになっても、可愛いいものです
出来の悪い子は、余計に可愛いといわれます
子育てに正解はありません。
また、親子の関係は、他人にはわからないことがあります
息子は、あれだけ「愚母」とネット上で母親をののしり、悪口の書き込みを続けても、母親所有の家に住み続けていました。
事件前1週間は、母親の住む実家に戻って一緒に暮らしています。
人(自分も)の本当の気持ちはわかりません
あの事件から、5年経つ今
老父は、何を思う?
最期までお読みいただき、ありがとうございました。
コメントいただけると嬉しいです