『つゆ姫様』の夢を見た日・・ | 凛として生きる「女性らしく今を大切に」

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子宮内膜症、子宮筋腫、卵巣嚢腫、卵巣腫瘍、子宮腺筋症、ポリープなどの婦人病を抱える病と向き合いながら体調管理や、女性として凛として生きて行く日々を綴った50代女性起業家のブログです。

 

目が覚めたら、13:37だった。

 

「え?!」

 

今までの私の睡眠リズムで
こんなに目が覚めなかったことはない。

 

まるで、どこか別世界へ

繋がっていたかのように

死んだように深い深い眠りに

ついていたようだ・・

 

本当に不思議な夢を

見ていたのだけれど。

 

起きてすぐに『つゆ姫』を

ネットで調べてみてビックリ。

 

本当に実在した人物で

そして実話という話が

そこに物語として

残っていたからだ。

 

最近、私の暮らしの中で

変わった事と言えば

松果体の働きを活性して

睡眠の質を上げるために

珪素(シリカ)シリーズの

新商品を取り扱い始めること。

 

そのために

メーカー様との打ち合わせや、

ショップページのデザインなど

忙しくしている中で・・

 

実際にシリカを含む

自然由来のサプリを飲んで

体調や睡眠の質が上がる変化に

驚いていたわけですが…

 

これは商品の宣伝のために

書いているのではなく

本当に驚いていることで

脳が非常にスッキリしてきて

熟睡ぶりが違ってきたことと・・

 

やはり自然由来の成分は

心身バランスには必要不可欠で

重要なものなのだと確信し

自律神経の働きが変わったのか・・

 

芯の冷えが取れたことも驚きだが

特に目の視界がハッキリして

目の奥の痛みや圧迫される感じから

解放されたことが何より嬉しく

驚いている次第です。

 

イッキや息子も

睡眠時間が不安定だったが

すごく熟睡しているようで

まるでこれまでの睡眠不足を

取り戻すかのような状態が

見られる・・

 

良質で純粋なシリカの働きには

本当に驚異を感じている。

 

さて、そんなわけで・・

松果体が活性したのか

なんなのかは分からないが

50代になってこんなに熟睡したのは

初めてなのだけれど・・

 

こんなに不思議な夢を

見たのは一生のうちで初めて。

 

その不思議な夢を

忘れないうちに書いておきたい。

 

それは私が夕方に

ある村か何かの長い長い

神社か寺か何かに続く

階段の途中に座っている、

そんな場面から始まった。

 

 

「あれ?ここはどこなんだろう?

どうしてこんなところに

座っているんだろう?」

 

次にもう一度振り返ると

いきなり目の前に

神が祀られているような

祠が現れて・・

 

そこにはさらに、

たくさんのじゃがいもも

お供えされている様子が

急に現れる現象が起きて

とても驚いた。

 

 

夢の中の私は

リアルにその状況を体験し

目の前に祠とお供え物が

急に現れたことに驚いてしまって

 

「こんな事、初めて体験する!

目の前に祠とお供え物が

急に現れるなんて!!

こんなことが現実に起きるなんて!!」

 

私の意識は、

今の私の意識の状態で

その景色を体験していた。

 

そして次に現れたのは
過去の時代のお姫様だった・・

 

 

「つゆ姫様?!」

 

いや・・・

なぜ私がこの姫様の名前を

知っているのかは分からない。

 

でも、なぜか知っていた。

 

その姫様は

とてもとても可愛らしくて

少し微笑んで近づいて来た。

 

魂の美しい感じが

よく伝わってくる姫様で

本当に眩しい光に

包まれていた姫様だった。

 

出会うだけで

心が洗われる気がするほど・・

 

その姫様が

なにか美しく光る物を

私にくれた。

 

貰ったものはスーッと

手のひらの中で消えていき

お姫様とは話す間もなく

その目の前の出来事も

スーッと消えて行った。

 

つゆ姫様とは、

どんな姫様だったのだろう?

 

なぜ、目の前に現れた?

 

その後、夢の中では

そこから離れて歩いていると

土手に出て、黒い小さな犬を

散歩している村の男性に出会った。

 

 

急いで近づいて行って

今あった出来事について

一生懸命に話してから

 

「つゆ姫様の物語が

この村にはありますか?」

 

と尋ねると、男性は

“あぁ~”と理解してくれて

その村にはつゆ姫様が

眠っていると話してくれた。

 

その辺りで目が覚めて・・

 

ものすごくハッキリと

夢の中の出来事を

覚えている自分にも

とても驚いたが・・

 

起きた時間が

午後の13:37だったことも

とても驚いた。

 

非常に深い眠りの中で

まるでどこかの別世界へ

行っていた気分・・

 

こんなに深く眠ると

たいがいは頭痛がしたり

倦怠感が出るけれど

それは全くなかった。

 

むしろ頭は冴えていて爽快。

 

起きてすぐにネットで

“つゆ姫とは?”と検索・・

 

驚くことに、

つゆ姫の物語は実在しており

実話として語り継がれていた・・

 

これにはビックリ。

↓↓↓

露姫様の物語

 

“つゆ姫”は

『露姫』という名前です。

 

池田冠山という元大名の

愛娘の露姫(つゆひめ)が

疱瘡(ほうそう)に罹かかり

6歳で亡くなりました。


江戸に伝え渡った

勝五郎生まれ変わりの話を耳にし、

多摩郡中野村(現在の八王子市東中野)の

勝五郎の家へ足をのばし直接話を聞き

本に書いたとの事実が出てきた。

 

それが『露姫様の物語』に始まり

勝五郎の生まれ変わりの物語として

現代まで語り継がれているのだとか。

 

池田冠山は元大名で

隠居していたとはいえ、

元大名が直接農民の家を

訪れるのは異例の事だったようです。

 

露姫を亡くし

深い悲しみのなかにあった冠山侯にとって、

同じように6歳の時に疱瘡で亡くなった

藤蔵(とうぞう)の生まれ変わりである、

と語る勝五郎の存在は、

冠山侯にとって露姫の再生を

期待させるものであったようです。

 

(文中より抜粋)

“ 勝五郎生まれ変わり物語は、露姫の夭折ようせつから始まっているのです。

現世では関わりようの無かった村の少年、藤蔵・勝五郎と大名のお姫様である露姫は、池田冠山侯の露姫を思う心情のなかで、深く結び付けられていったのです。

露姫の夭折がなければ、勝五郎生まれ変わり物語は現在のように、語り継がれることはなかったかもしれません。”

 

この物語は露姫の誕生から

始まっているという。


今から200年ほど前の江戸時代の後期、

文化14年(1817)11月2日。

 

江戸の鉄砲洲

(現在の中央区明石町、聖路加ガーデンの辺り)

の鳥取池田家西館の江戸屋敷において、

第五代藩主・池田冠山、

松平縫殿頭定常(ぬいどののかみさだつね)の

十六女が誕生しました。

 

冠山侯は、その時51歳で、

母は冠山侯が最も愛していた

側室おたへの方(柿沼氏)です。

 

江戸での池田家菩提寺である、

向島の弘福寺の鶴峯(かくほう)和尚が

池田冠山の藩邸を訪れると・・

 

露姫は、藩邸への来客者に対しては、

みだりに会うことはしませんでしたが、

僧侶の来客と知れば、恥じらうことなく

好んで面会したようです。

 

露姫は常に書画を好み、

自ら手習いして他人にも書かせて

楽しんでいました。

 

絵本を見る時は、

仏・菩薩の像があるものを好んでいたそうで
「おとうさま。この仏さまは誰ですか」 

名前のわからない仏画があると、

冠山侯に訊ねることは度々のこと。

 

また近侍の子供たちと一緒に、

折々の遊びにカルタや

おはじきなどをする時は、

人に勝つことを好まず、

その遊びをよく知らない者がいれば

助けてやって仲間に入れる心遣いをする

優しい姫君だったようです。

 

ある日、

部屋に蟻が這い上がっていたので

家来が殺そうとしていた時、

露姫はこれを見て

 

「何をしておる、箒(ほうき)でそっと掃はいて外へ放ちやれ」

と命じられました。

 

小さな生物の命にも

優しい姫君だったようです。


露姫は幼女でありながら

聡明であると評判が高く、

思いやりのあるお姫様でした。

 

冠山侯の影響もあってか信仰心が篤く、

淺草寺や雑司ヶ谷の鬼子母神などへは、

自分から好んでお参りをしていました。

 

社寺に額づいて小さな手を合わせ、

まめやかに拝む姿はとても幼女とは

思えぬものだったようです。

 

さつまのくに(鹿児島)の

島津斉興(しまづなりおき)夫人

賢章院(けんしょういん)

(鳥取池田家第六代藩主

池田治道(はるみち)の娘・

弥姫(いよひめ)で、

島津斉彬(しまづなりあきら)の実母が

この露姫の噂を耳にして

幼い身ではあるけれども

仏教の三宝に帰依した末に頼もしく

“如何いかなる菩薩の応化であろうか”と、

冠山侯に手紙を添えて

弥姫(いよひめ)が手元に秘め置いた

唐磁の観音像を露姫に贈ったとのこと。

 

これにはビックリ・・

 

鹿児島の島津斉彬の実母から

仏教に帰依した幼い露姫へ

観音様を贈っていたとは!!

 

あの鹿児島の仙巌園の島津斉彬?!

の、お母様が露姫に観音像を贈った?!

 

露姫様とは、そんな関りがあるの?!


私が惹かれた鹿児島の

仙巌園には島田斉彬の邸宅あり

鹿児島に移住したときは

何度も足をが運んでお茶を

いただいたものです…


そうでしたか。


露姫様が仏教に

帰依していることも

共通点を感じて驚きますが…

 

この観音像は

侍女たちが見ても観音像とは

気づかなかったのですが…


この像を手にした露姫は、

すぐに「これは観音様だ」と言って、

咄嗟とっさに小さな手を合せ

礼拝したというエピソードあり。

 

そして、自ら庭に出て花を摘つみ、

茶菓も添えて観音像の前に

供えたのです。


なんて信心深い姫君であり

心ある姫君だったのだろう…

 

そして、11月27日、

辰の刻(午前8時頃)を過ぎるほどに、

6歳という儚い生涯を閉じました。

 

露姫の法名は、

「浄観院殿玉露如泡大童女

(じょうかんいんでんぎょくろにょほうだいどうじょ)」

 

露姫が亡くなった後、

露姫の遺筆とも思える

何通かの書き付けが見つかります。

 

何れも、

6歳の子供が書いたとは思えないような

心のこもった手紙や和歌でした。

 

露姫の侍女であった、

トキ と タツ に宛てた和歌は

二人の名前を歌に詠んでいるのです。

 

「ゑんありて たつときわれに つかわれし いくとしへても わすれたもふな
   とき たつ さま   六つ  つゆ」

 

そして、後日見つかった三種の句。

 

「十いちかつ御きうそくてかく
(蝶の絵が描かれ、その下に) おのかみの すへおしら(ず)に もふこてう
(桜の絵が描かれ、その下に) つゆほとの はなのさかりや ちこさくら
(雨の絵が描かれ、その下に) あめつちの おんはわすれし ちちとはは
六つつゆ」

 

さらには、冠山侯へ

「お酒が父上様の過ちにならんことを思うゆえ、お酒は辞やめて下さい」 

との諌めと思えるものの遺筆もみつかっています。

 

冠山侯は愛酒家であり酒豪でもありましたが、

その後、他人には酒を勧めることはあっても、

自分は一切口にしなかったということです。

( 冠山侯が露姫の、遺墨を見てから禁酒したことが、

自身や知人の著書に記されています ) 

 

「おいとたから ごしゅあ(が)るな つゆがおねかい申ます めてたくかしく
おとうさま
まつだいら つゆ
あける つゆ
上」

 

冠山侯の深酒に対する

露姫生前の気遣いについては

こんな逸話があります。

 

冠山侯は常に家来達に対して

「酒の量を過ごしそうな時は

傍より注意してくれ」と、

言っていましたが…


いざその時になると家来たちは

冠山侯のご機嫌を気がねして、

誰ひとりとして進言する者が

おりませんでした。

 

これを見ていた露姫は大いに気遣い、

宴たけなわの時であっても罷まかり出いで

「おとうさま。お酒あがるのはこの辺で」

と申し上げ、何くれと冠山侯の深酒を

止めようとしたのです。

 

四十九日のお逮夜(たいや)では

生前の露姫の思い出話に花が咲き

露姫の実母である おたへの方が、

かつて露姫様から受け取っていた

「おたへさま つゆ」と記された

書簡を取り出されました。

 

何のことが書いてあるのか訳のわからない

長文で書かれた一通の手紙で、

露姫の戯(たわむ)れ事ごとと

放っておいたものを、姉君たちと

解読に努めるうちに…


再上段と再下段の文字を

1字ずつ拾って読むと、

次のような和歌になることが

分かりました。


「まてしはし なきよのなかの いとまこい むとせのゆめの なこりおしさに
おたへさま
つゆ」

 



これは即ち、幼い露姫が、

既に辞世(じせい)の決意を

詠んだ歌なのです。

 

皆は改めて驚嘆(きょうたん)し

袖を濡らしたのでありました。

 

その後もこうした露姫の遺筆は

少しずつ周りの者への気遣いとして

現われては、皆を慰めていきます。

目の中に入れても

痛くないほど可愛がっていた、

露姫のこうした数々の遺筆を

目にした冠山侯の思いは、

計り知れないものがありました。

 

露姫の遺墨が発見されている折に、

江戸にまで広まった勝五郎生まれ変わりの噂が

冠山侯の耳に入って来たのでした。

 

「我娘の露姫も、勝五郎のように生まれ変わって欲しい」

 

そうした思いが、

冠山侯の心の奥から

噴き出してきたのです。

 

そして勝五郎の元を訪れた後、

江戸に戻り『勝五郎再生前生話』という

一冊の本にまとめました。

 

そして露姫は、多くの人たちに

追悼を寄せられたお姫様としても

知られることなりました。

 

鳥取市鹿野しかのにある

雲龍寺(うんりゅうじ)には、

その時受け取ったこれ等遺筆の木版刷り4点の外に、

「覚書」・「露姫の法名が書かれた紙片」

「補足の説明書」などが今も保存されています。

 

雲龍寺にある「覚書」によると、

露姫遺筆の木版刷りなどが配られたのは、

江戸だけではなく全国各地のゆかりの

寺院や知人などにも

配られていたことがわかります。

 

露姫に観音像を贈られた賢章院も

長文で追悼の書を寄せています。

(玉露童女追悼集・第五巻)

 

冠山侯は、

贈られて来たこれらの追悼の書などを、

『玉露童女追悼集』として、

30巻の巻物に仕立てて、

冠山侯と露姫に縁のあった

淺草寺に奉納しました。

 

残念ながら1巻が紛失してしまいましたが、

残りの29巻は淺草寺に現存しています。

 

露姫様の木彫像も

淺草寺に保存されています。

 

 

 

まさかの実在の人物だった

『露姫』様が夢に出て来なかったら

こうした歴史も知らなかったこと。

 

露姫さまの夭折(ようせつ)、

仏教に帰依していること、

鹿児島の島津斉彬の実母から

贈られた観音像など…

 

いろいろと私にもリンクして

思うところが深い姫君でした・・

 

なぜ、そんな姫君が

私の夢に現れたのかは

色々と考えてみたものの分からず…

 

周りの人々へのお心遣いが

とても深く優しい露姫様が

同じく娘を亡くした私の想いを

慰めに来てくださったのだろうか・・

 

と、考えてみたり。

 

それとも…

松果体の活性化によって

不思議な世界へつながる事が

できるようになったのだろうか?

 

本当に深い眠りについて

別世界へ行っていたようで・・


真に不思議な夢でございました・・

 

真に不思議な体験でございました。

 

長野は昨日から

春の気候へと切り替わったようで

夜も空気が和らいで暖かくなり・・

 

じきに娘の命日を迎える

私の心も慰められるのでした。

 

皆様もどうぞ

お体ご自愛くださいね。

 

では、また・・

   

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