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熱い季節だった。
暑いだ。

試験会場は、都内のどこかで、大きな会議室だった。
すべてが曖昧だが、5~60名が集まっていた。

覚えているのは、入り口の入場者名簿だ。
自分の名前の横にアルファベットが書かれていた。
項目名には大学名と。
目に入った他の受験者の欄にはWだとかKだとか。
早稲田だし慶応か。

やれば、彼らにも負けないと思っていた。
それは受験の時からだった。

 



試験はチンピンカンプンだった。
自分が就職のためにやったことは、ひたすらに日記を書くことだった。
あとは、せいぜい本を読む。

みんな、こんなのに答えが出せるのか――。

自分が手が出ない問題、どんな問題だったんだろ?
受かるには手が届かないにしても、手が出せない、というのは、どんな問題だったんだろう。
本当に覚えていないのだ。

ひょっとすると、半分くらいは分かったのかもしれない。
でも、周りの人たちは8割はとっている、そんなことを肌で感じたのかもしれない。

苦痛ではないが、やるせない時間だった。

 



試験が終わると、かばんを手に取り、席を立つ。
わかっちゃいたけど……。

そのとき、「ありがとうございました!」と叫ぶ声が会場に響いた。
試験監の人への挨拶で、深々と頭を下げていた。

……あかん……人種が違う。

すごすごと会場をあとにした。
 



喫茶店くらいはいったかな。
セブンスターに火をつけて。
わかっちゃいたけど。
予想はしていたけど。

受験の頃に、やればできたかもしれなかったけど、やれなかったのだ。
やれた人が、ここを目標に準備をしてきているのだ。
勝てるわけがない。

ぼんやりとだが、高いビルの間を歩いたのは覚えている。
空が狭くて、頭をかく。
弱ったなぁ――。
これが最後の弾だったのだ。
福岡にも名古屋にも出版社の応募の募集は見たことがなかった。

落ち込みはなく、サバサバとしていた。
分かっちゃいたけどね。

パチンコ屋にでも入ったんだっけかな?

BGMは長渕さんのアルバム「Stay Deram」からスーパースター。

 

 



それは残骸だったのかもしれないけど、光るものがあった。
元より、わかっていたような結果だったから、やれることはやったような満足感はあったかも。
何かを認めてくれる人がいる。
自分には、社会の人たちを認めさせるような何かを実感としてつかめたことが大きかった。

今、思えば、得体のしれない本で新卒情報をとって。
福岡から来て。
おかしなスーツで。
そういう枠が一人分くらいあったのかもしれない。
だけどね、当時の自分はその枠を超越して、ひどかった。
 



汚いと住めない生物がいるらしい。
キレイすぎても暮らせない魚もいるんだって。
自分のような人種が暮らせる場所はどこなんだろう?

次は、何をどうやって頑張ったらいいんだろう?

帰りの新幹線は、本を読んでたか寝てただ。

ますます、本は好きになっていた。
導いてくれたものの一つに「本の雑誌」があった。

 

 


エッセイだったら、作者は、徒然なる毎日を、少し誇張しながら面白く書く。
見せてくれるのは、ほんの一部なのだが。

それがすべてで、楽しそうだなって思っていた。
編集する人も同じような人だと思っていた。

優雅な白鳥も、水面下では必死になって水を搔いているらしい。

だが、当時の自分は、そんなことには、まだ気が付いていない。
とても漠然と、本を読みながら、この世界を居場所にしたい、と思うばかりだった。
ただ、現実の社会から少し離れていた場所に居た自分が、ゆっくりと社会に近づいているのは間違いなかった。

とりあえず、ちゃんと卒業するか。
そんなことを誓ったのは、この頃だったと思う。

明日はキラキラとして。
日記を書きなぐり、読み直すたびに、夢にときめいた。

自分にはこの道がある、と思うと、誰かと比較することもなくなった。

誰かに就職活動のことを聞かれたら、そうやって答えればいいのだから。
悪くない毎日だった。

もう一曲。
長渕さんの「HEAVY GAUGE」から-100℃の冷たい街。