母、とうとう老人ホームへ① | ☆ Pingtung Archives ☆

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60代おばちゃんの徒然です。映画やドラマ、本、受験(過去)、犬、金融・経済、持病のIgGMGUSそして台湾とテーマは支離滅裂です。ブログのきっかけは戦前の台湾生まれ(湾生)の母の故郷、台湾・屏東(Pingtung)訪問記です。♬マークは音楽付き。

もうホームに入る

 

その言葉はあっけなく放たれました。

 

心筋梗塞でステント挿入手術、慢性心不全、大腸のポリープ摘出手術、足のケガ・・・

そんな体でひとり暮らしは無理。

 

そう言い続けて15年経ちました。

 

その間、本人はあっけらかんと

 

ひとりがいいの

 

と ピンピンコロリ 目指して日々邁進し、週5日ヘルパーさん体制で今日を迎えたわけです。

 

今年春ごろに監視カメラを設置して(東京から遠隔で)朝晩生存確認に勤しんでおりました。

 

夏以降、朝、トイレ付近で横たわっている母を発見すること数回。

録画をたどるとどうやら夜中からそこでもぞもぞ。

一度倒れ込むと自力で態勢を変えられないほど劣った全身の筋肉。

 

わたくしがカメラで発見すると、地元に住む妹に電話を入れ、妹が(職場から)駆けつけるといういわば 私設ALSOK体制 で乗り切ってきました。

 

その間、かかりつけ医にも相談し、(もう危ないから)施設入居の背中を押してくれないか? などとお願いに伺ったこと数回。

 

なぜか

 

まだまだ大丈夫。僕の祖母は施設に入ったら急に衰えましたから

 

15年前と同じ紋切り型の問答で交わされ続けました。

 

今回、トイレの前でもがき続けること7時間、妹とヘルパーさん二人でようやく母を引き上げて椅子に座らせると母は放心状態に。

 

急いでかかりつけ医に電話して状況を伝えても

 

ここまで連れて来てくれないと何もできない

 

と。

 

OS-1を飲ませたものの、母は目をひんむいて昏睡状態に。

 

カメラを観ながらわたくしは

 

もう救急車!

 

と叫んでいました。

 

救急隊がやってきて、名前を呼んでも反応のない母を3人がかりでようやく背負って病院へ。

・・・結局、診断は

 

脱水症状

 

点滴で蘇り、入院することもなく帰されました。

 

ただ、救急でもらった検査結果のCDや処方箋を持ってかかりつけ医のところへ行くように指示されたので行ったのですが、割と切迫した状態の母は他の患者と同じ扱いで、タクシーの中で待っておけと。

随分待って順番が来ても、妹だけが診察室に呼ばれ、ドクターは母を診ることもなく

 

一晩様子を見て、また明日連れてきてください

 

と。

 

動けない、動かせなくて困っているのにこの人をどうやって連れてくればいいの?

しかも連れてきても診てくれないじゃん!!

 

ここらあたりでわたくし、もう腹を括りました。

 

二度とお世話にならない

 

このドクターに診てもらうようになって約15年。

 

神様のように信奉し続けた母の想いは完全なる片想い。

 

92才、要介護1で病状は安定している患者に、(自費でヘルパーさん雇って)2週間に一回顔見せて と通院を強い、18種類の投薬を施し、いざとなったら 救急車呼べ のアドバイスひとつくれない。

 

こんなドクターを(今でも)信奉している母が情けない・・・

 

この日の災禍にはおまけがありました。ひとりで母を抱えて帰宅した妹。

体重60㎏足らずではあるものの、筋肉がないせいでものすごく重い母は、案の定、玄関の段差でつまづき胸を強打。

 

痛いよ~ もう死にたい

 

と弱音をはき、妹も取り乱してこちらに電話してくる。

 

私はなすすべもなく

 

もう一回救急車!

 

と叫びましたが、妹の旦那が駆けつけてくれてなんとか態勢立て直し。

 

救急で搬送された市立病院も、かかりつけ医も

 

医療行為が必要ないから入院できない。ご家族がなんとかしてください

 

の一点張り。こういう場合は悲惨です。骨が少ない私なら圧迫骨折してました。

 

医療制度のルールとわかっていても、たとえ一泊でも入院させてもらえると助かるのに、と心底思います。

 

 

続く。

 

大活躍した監視カメラ。

実家に設置した商品はもうないようですが類似品は↓