『女たちのニューギニア』という有吉作品を読んでファンになり、もう少し読んでみようと図書館から3冊借りてきました。
『恍惚の人』
『複合汚染』
そしてこの『非色』
パラパラとめくり、テーマに既視感のある『恍惚の人』と『複合汚染』は見送り。
そして手にとった『非色』。
1964年に書かれたというのに、ものすごく今日的な内容でした。
内容(紀伊国屋webより)
色に非ず―。終戦直後黒人兵と結婚し、幼い子を連れニューヨークに渡った笑子だが、待っていたのは貧民街ハアレムでの半地下生活だった。人種差別と偏見にあいながらも、「差別とは何か?」を問い続け、逞しく生き方を模索する。一九六四年、著者がニューヨーク留学後にアメリカの人種問題を内面から描いた渾身の傑作長編。
1人称で語られる物語の語り手は、終戦時に女学校を卒業したばかりの笑子。
冒頭からひきこまれます。
私は自分の生い立ちについて多く語ることを好まない。父親のない娘。片親育ちの子供というものは世間にいくらでも例があるからである。貧乏だったということも世間では珍しいことではない。妹よりも不器量に生まれついたからといって、書いて世の人に訴えなければならないほどの悲劇とは思えない。だから私はそうしたことを陰々滅々と此処に披露しようとは思ってもいないのである。
そんな笑子が、それでも伝えたかった物語が、ここに綴られています。
笑子と同じ船でアメリカに向かうのは、戦争花嫁(War Bride)という言葉でくくられる4人の日本人女性。
それぞれの結婚相手は二グロ、イタリア系、プエルトリコ系。
人種の坩堝、アメリカの実態を知らずに渡米した4人が彼の地で遭遇する悲劇、辛酸の数々が、まるでその場に居合わせたかのようなリアリティをもって描かれています。
笑子にとって、二グロへの差別はわかっていたこと。でも、白人の中にもヒエラルキーはあり、ユダヤ系、イタリア系、アイルランド系は下のほう(←当時)。そしてプエルトリコに至っては二グロ以下の底辺である(←あくまでも当時)という紛れもない事実。
さらに、同じルーツでありながら、アメリカン二グロはアフリカ本国からアメリカに駐在で来てる二グロから見下されるという現実。
「問題は色ではないのだ。」
人は、自分よりも劣るものを勝手に設定し、それを拠りどころとして生きるしかないほど弱いものなのか?
笑子は、ハアレムの半地下で暮らしながら、目の前に広がるつらい風景をクールに分析しながら逞しく生きていきます。
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昔暮らしたマンハッタンの街角を思い出しながら、この本を読みました。
この本でスパニッシュ・ハアレムとして紹介されるエリアはおそらくSan Juan Hillで、今はメトロポリタン歌劇場があるリンカーン・センターの北西のあたり。
1956年
1962年 スパニッシュハーレムが解体された頃
現在のリンカーンセンター
(上記画像は San Juan Hill, Manhattan - Wikipedia よりお借りしました)
笑子が暮らしたハアレム(125丁目 ブロードウェー)界隈の当時の写真
1950年代
(3: Growing Up in Harlem - 12th Grade ELA (google.com)よりお借りしました)
1950年代
(125th Street and Lenox Avenue, Harlem, 1950's (harlemworldmagazine.com)よりお借りしました)
笑子が実在した人物のような錯覚にとらわれます。
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純ドメの日本のビジネスパーソンで、人種差別についてこの本の中身ぐらいのことを知ってる人は何割ぐらいいるのでしょう。
日本人にとって、人種差別がBLMとか(人種差別ではないけれど)LGBTQとか、表層的なことに終始するのは島国で呑気に暮らしてきた生い立ちのせいなのでしょうか。
NYで働いていた頃、ひところオフィスはミッドタウンの金融街(52丁目 パークとマディソンの間)にありました。
今でもビルは現役で、世界最大の運用会社の本社が入っています。
時々、向かいのビルで働くA子と下で落ち合い、エントランスにあるベンチに腰かけて(タバコを)一服する(←もはや時代劇 笑)のが私たちの息抜きでした。
ミッドタウンの金融街には日本の銀行の出先も多く、かなりの数の日本人が目の前を通ります。
そんなある日
私 このへん歩いてるアジア系、なぜか日本人はすぐわかる
A子 そうね、胸板うすいし姿勢も悪い 笑
私 うーん、でも顔つきがそもそもちがう
A子 ああ、日本人は自信なさそう?
私 っていうか、人が良さそうなんだけど、どこか肩で風切ってるっていうか・・・ フフフ
A子 ハハハ それは、汝自身を知らないから、よ!
A子の言葉は、他者に気を配る必要もなければ、汝自身を知る必要もない(人種差別的に)お気楽な日本人の本質を言い当てたものでした。
・・・あれから30年。
帰国子女、インター育ちのA子の言葉通り、ニッポンは汝自身を知らない者のコースを辿っています。