『愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家』に続く延江さんの本2冊目。
昨年11月に出たばかりで図書館でも人気な中、やっと順番がまわって来たので(娘の受験からの)現実逃避で読んでみた。
この本は、昭和から平成にかけてヒットを量産した作詞家松本隆が話したことを(Tokyo FM エグゼクティブプランナーの)延江浩さんが文字にしてできあがった。
その創作の足跡。ざっとみただけでもこんなに(下表)・・・数える気にもなりません。
え、この曲も?というのも多い。
個人的に記憶に残る歌にハイライトしてみると、おそらく全部昭和のヒット曲。
あらためて、昭和な人生だわ
森進一のヒット曲「冬のリヴィエラ」は、松本氏が小学5年生で観たドイツ映画「死の船」に着想を得た。
主人公は娼婦に騙されて有り金を全部取られた船員です。マルセイユで奴隷船みたいなのに乗り込むのですが、最後その船は沈没してしまう。主人公はただひとり大西洋の真んなかで生き残って、ボートに浮かんでいるところで終わってしまう。
こんなに暗い話から「冬のリヴィエラ」が生まれるところが才能ですね。
歌詞に載せた、ラジオから流れる陽気な歌、(カラフルなコンテナを積んだ)アメリカの貨物船、酒の小瓶・・・そういう小物たちが、冷たい冬の空気に包まれた男女の別れの風景を切なくも明るい色彩で描く。
(画像はお借りしました)
そんな松本隆の才能は「風街」から生まれたらしい。
「風街」とは人それぞれにあるものだけれど、
ぼくにとっては生まれ育った青山・渋谷・麻布の三角形にあるんだけど、その人にとって、暮らしやすい、行きやすい場所なんです。別にいまじゃなくてもいい。思い出の中にあるなら、それも風街。
テクニックに頼った瞬間、言葉は浅くなるんです。
言葉は潜在意識に届けないと、人の心は動かないんです。
ぼくは風とか空気とか気配を大事にしています。つまり、目に見えないけれど、本当はあるもの、です。
青山・渋谷・麻布の三角形・・・今では超都会。
でも松本氏が幼少期を過ごしたそこには特別な「風」が吹いていた。
1960年代、霞町と呼ばれた西麻布の交差点近く、「笄坂」を走る都電(広尾線?)
濃いピンクがかつての都電広尾線(外苑西通り)のルート
松本氏の「風街」の一部である外苑西通り沿いの笄公園 のあたりは、たしかに今でも六本木通りとは違う空気を纏っている。
その昔都電が走っていたという(片側3車線はある)割と広い道路に、六本木通りにくらべて格段に少ない交通量。
高すぎるビルもなくちょっと閑散としていて、道行く人々もここで生活している人たちや近隣の学校の生徒たちが中心。
はっぴいえんど時代の「風をあつめて」からはたしかに「風街」の空気が伝わって来る。
いまの外苑西通り。 閑散とした空気伝わりますか?
(画像はお借りしました)
名曲です・・・この人のこの声がポイントですね。
ちなみに作曲した大瀧詠一さんが英語で歌ったバージョンは↓
なんか・・・タガログ語フレーバー
もうすぐやってくる卒業の季節にはこの曲。
気がつけば、松本隆の歌に囲まれた昭和でした。
松本隆さん、シューベルトの歌曲「白鳥の歌」も訳詞してます。