表題は本日の日経記事の見出し。
個人的にちょっと感慨深い。
LIBORとは、ロンドン銀行間取引金利(London Interbank Offered Rate)のことで、過去半世紀にわたって金融市場で指標金利として使われてきた。私はマーケット部門にいた15年以上をこのLIBORと共に過ごした。
画像はお借りしました。
LIBORとの出会いは日本の電機メーカーから転職して入った外資系金融機関のディーリングルーム。
半分ぐらいは外人で上司も外人。
当時の私は英語が全くできなかった。外人との面接でも会話が成り立ってないなと思ったのに採用。採用された理由はどうやら「数学」。それも高等数学ではなく数Ⅱ程度。(←今なら笑われるような問題)
ともあれ、金利スワップのトレーディングアシスタントとしての日々が始まり、LIBORの洗礼を受けた。
しかし・・・間もなく上司がかみ合わない会話に気づく。そして言った。
Take off your clothes.
それに対して(遠くて聞き取れてない⇚言い訳)私は嬉々として答えた。
Yes, sir!
その日から私は、当時六本木にあった 麻布アカデミー という英会話スクールに放り込まれ、加えて外人のエキスパットの奥さんにも英語を教わることになった。
毎日仕事が終わってから六本木(麻布アカデミー)や目黒の青葉台(エキスパット宅)まで行って英語のレッスン。
それほど英語が上達したとは思えないけれど、一応クビにもならずにそのLIBORがらみの仕事を続けることができた。
懐の深い上司や会社に本当に感謝している。
当時は大蔵省(古いですね)主導の金融自由化の真っ最中で、外国の金融機関が次々と東京市場にやってきて拠点を設けたころ。
人材が必要なのに、日本のエリートは(得体のしれない)外資に見向きもしない。(←その後間もなくして高学歴の男性もこぞって目指すようになった)
私のような女子に金融フロントの門戸が開かれたのにはそういう背景があったと思われる。
新卒で就職活動した時には ①親元を離れて暮らす ②片親家庭 の③女子学生 を総合職(という言葉すらなかったけど)で採用する銀行はなかった。(ま、銀行を目指していたわけでもないんだけれど・・・行きたかった広告業界もそう)
理由は、身持ちが悪く、オトコに貢ぐために銀行のお金に手を付ける可能性がある から・・・ (大銀行のお偉いさんが本気でこんなこと言ってたかと思うとこみ上げる笑いをこらえきれない!)
ただ、今なら訴訟問題のその暗黙のルールにそう腹が立たなかったのも事実。我ながら牧歌的でした
そんな私に訪れた転機を周りに相談すると、「その銀行の名前は知ってるけど、スワップ取引というのは聞いたことがない。ちょっと怪しいね」という。「スワップ取引」を調べようにも書籍すらない中での決断だった。
LIBORの職場は当時最先端のオフィスビルで、本店から派遣されたデザイナーがフロア全体のインテリアを(本店同様に)統一したステキなオフィス。ディーリングルームの毛足の長い絨毯を踏みしめながら、「こんなにステキな職場にいていいのかな、詐欺じゃないよね」と自分に言い聞かせる三重苦女子なのだった。時はバブル前夜。未来はそう暗くないと感じていた。
Take off your clothes の頃流行っていた曲