2019年10月の「東京大学ホームカミングデイ」に実施された文学部主催のシンポジウム
「ことばの危機ー入試改革・教育行政を問う-」
の内容に基づきまとめられた本である。
国語教育の危機、教養の危機などの問題点がわかりやすく書かれている。
特に共通テスト試行テストの国語の問題点の指摘には思わず膝を打った!
この試行テスト、たまたま私も見ました。
なぜならウサギ(娘=高校生)が〇進ハイスクールで受けた現代文のプレテストがめっちゃ難しかった、というのでどれどれと問題を見るはめになったのです。
それは、現代文というより記号とかポスターを速く正しく読み取る能力のテストのようで、これが現代文のテスト? と思う内容だった。
うん、難しい。時間がないテストでは特に・・・
でもウサギによると、〇進ハイスクールの林先生的には「こんなもんでしょ」らしい。
いまどきの現代文ってこんなにせちがらいのか
旧石器時代でも「現代国語」はもうちょっとおっとりしていて、試験問題とは言えそれなりに文章を楽しめたものだ。
本書は私がそのときに感じた危機をわかりやすく説明してくれている。
この本は言います。
「(試行テストの問題は)素材に向き合うというよりは、出題者の、比べようとする意図を忖度する力を受験者に聞いてくるような方向に進みつつある」
そして、生きていくために必要な「ことば」という神聖なる拠りどころを、情報処理の道具のようにとらえている、と。
さらに、現代文を「論理国語」「文学国語」なんかに分けて文学から遠ざけるような指導要領では、結局生きて行くために必要な教養を育むことはできないのではないのか、とも。
どうやらこの「論理国語」への傾斜の背景には「PISAショック」もあるらしい。
2019年12月に発表されたOECDによる国際学力到達度調査(PISA)の結果で、日本の15才は「読解力」の項目で3年前の8位から15位に転落した。
ちなみにその3年前も、「読解力」の順位は4位から8位に落ちている。
坂を転げ落ちるような読解力低下・・・
そこで、情報処理能力に問題があるのではないか? ということになって作成されたのが件のプレテスト問題。
はっきり言いましょう。方向間違ってます。
わたくし、旧石器時代(昭和の高度成長期)人だからわかります。
そちらはどうみても旧石器時代。
当時の経済界・産業界こそが、効率よく仕事がたくさんできる人材を求めていたのですから。
旧石器時代、親は言いました。
男の子なら算数頑張りなさい。そして医者とかエンジニアとかになって順調な人生歩んで。
女の子は国語や英語勉強して。そしていいカイシャに入って、いずれはお嫁さんね。
そうして大量生産されたプラグマティックな能力に長けた、物言わぬ集団。
これで日本はのし上がりました。
でも、今や中国人は言います。
三流企業がものをつくり、二流企業が技術を開発し、一流企業がルールを決める
ルールを決めてピンハネする(失礼!言葉が過ぎました)のが一流企業。一流は、周到な物語で二流、三流をその気にさせて、世界を動かす。
それには、人を動かす「ことば」が必要なはず。
記号で動くのは一流から搾取される側。
だから、どうでもいい記号とかポスターとかを速く正確に読み解いてる場合じゃない、と思うんですけどね。
いまこそ、人を動かす「ことば」の力が重要。
すみません。この本のトーンとかけ離れてしまいました。
この本で論じられているのはもっと格調高い、哲学的なことです。
若い頃に哲学や文学とあまり接点のなかった私でも、今は思います。
高校や大学の時期に、もっとブンガクしておけばよかった、と。
そうしたら、あの場面はこうしていたな、あれはこういう展開もあったのじゃないかな・・・と悔やまれるシーンだらけです。
とりとめもなくなりました。
ウサギ(娘)が大学入試の当事者になるので、「ことば」問題、ちょっと気になりました。
ちなみにこの本を読むきっかけとなったのは、著者の一人、英文学者、阿部公彦さんの
『小説的思考のススメ 「気になる部分」だらけの日本文学』
という本。
英文学者が日本文学を語っているのですが、とっても面白かったのです。
ブンガクは奥深い。