ステイホーム疲れなのか年のせいなのか不調が続き、しつこいめまいに、パソコンにも活字にも近づけず、できるのはテレビの前に陣取ってお地蔵さんのように前を向いていることだけ。
そして暇つぶしに観た、アマゾンプライムの映画です。
予告編 岩波ホールwebより
[あらすじ](岩波ホールwebより)
舞台は、ジョージア(グルジア)西部のアブハジアというエストニア人が昔から住む集落。ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、多くのエストニア人は帰国したが、みかん栽培をする二人の老人イヴォとマルガスは残っている。マルガスはたわわに実ったみかんの収穫が気になるからだが、みかんの木箱作りのイヴォは本当の理由を語らない。
ある日、彼らは戦闘で負傷した二人の兵士をイヴォの自宅で介抱することになる。ひとりはアブハジアを支援するチェチェン兵アハメド、もうひとりはジョージア兵ニカで敵同士だった。
↓チェチェン兵アハメド
↓ジョージア兵ニカ(絡まったカセットテープを直している)
彼ら同じ屋根の下に敵兵がいることを知り、互いに殺意に燃える。イヴォが家の中では決して戦わせないというと、家主が力を持つコーカサス人のしきたりにのっとり、兵士たちは約束する。イヴォの手厚い介抱によって彼らはしだいに回復してゆくとともに、敵兵に人間として関心を深めてゆく。そしてアブハジア人がイヴォの自宅を訪れる・・・
[監督メッセージ](岩波ホールwebより)
私の主観的な考えですが、人間にとって一番大切なものが芸術です。この「みかんの丘」には、人間の精神、尊厳にとってとても強い人間的なメッセージが込められています。私は映画、芸術が戦争を止めることが出来るとは決して思ってはいません。しかし、もし戦争を決断し、実行する人たちがこの作品を見て、少しでも立ち止まり、考えてくれるならば、この映画、芸術を作った意義があったと考えています。
ザザ・ウルシャゼ
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撮影は、緊張状態が続くアブハジアではなく、同じ黒海沿岸にあるグリア地方の広大な荒地に集落を作り、樹木を植えて行われた。
シンプルなストーリーを盛り上げるのに必要にして十分なセット。
たわわに実るみかん山
小さな家の質素なベッド
薪をくべて料理をするタイプの質素なキッチン
そのキッチンに立ってイヴォがふるまうポトフのような料理、パン、チーズ・・・
これらの食事に使われる厚みのある素朴な皿
皿を清潔そうなふきんで拭くイヴォじいさん
・・・など、しゃべらないモノに託されたさりげないディテールが、戦争と人間の生の真実を雄弁に物語る。
生身の女性が全く登場しないこの映画の中で、イヴォじいさんは「母」であり、じいさんの美しい孫娘の写真は「恋人」である。
おなかが満たされ、傷が癒されると徐々に人間らしさを取り戻す兵士たち。
そしていがみ合っていた兵士たちも、敵味方なくお互いの宗教(チェチェン人⇒イスラム教、ジョージア人⇒キリスト教)まで尊重しあうところまで歩み寄る。
そんなムードの中迎えるさらなる戦闘の果て、イヴォじいさんがエストニアに帰らない本当の理由が明るみになる。
タイトル(Mandariinid)通り、なぜか、温州ミカンのような安らぎを残す戦争映画です。
ちなみにこの地の「みかん」は、ソ連邦時代に日本人の学者が中心になって西ジョージアの黒海沿岸の地方に多くの苗を植え、広めていったものといわれているらしいです。
ラストシーンで流れる、ニカが大切にしていたカセットテープの曲は、グルジアを代表する詩人、作家、音楽家であるイラクリ・チャルクヴィアニ(1961-2006)が歌った「紙の船」という歌で、アブハジア戦争中にジョージアで大ヒットした曲。戦場に赴く若者の恋人への心情を語った内容だが、ジョージア人のアブハジアへの思いが重ねられている。
『紙の船』 英訳された詩
I want to be with you again
Even when I fight, I am with you in my dreams
I´ll be back, I´ll sail back on a paper ship
I´ll come back to you from over the seas
Don´t believe it if they say I won´t come back
I will come back to you
— Irakli Charkviani, “A Paper Boat,” 1992
もうひとつの合作映画『とうもろこしの島』もそのうち観ようと思います。