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チャトラ・ママの茶のみ話

民間企業でOLとして活躍中?だったママが、19年5月に肺がん(ステージ3B)と診断されました。その後、社会復帰を果たしアルバイト公務員として元気に働いていました。そんなママが健康な人も、持病のある人も、読んで元気の出るようなブログを目指して書いています。


富士山
↑ 富士山がきれいに見える病室でした。


前にも一度書きましたが、癌の最期は緩和ケアサービスに入るものだと誤解してました。
意識障害の時、家族は観念して、緩和ケアの施設探しを行い
運よく最終的には2か所の入所可能施設をみつけてくれました。
「家族が全員同意してから入所する」というのが、どこの施設も方針らしいです。
私が一番希望していたにも関わらず、難色を示したのも私でした。
タルセバを使って元気に生活できるのに、何故緩和ケアかと。


そんな話を医師経由で地域連携担当の看護士のNさんに話したところ
「自宅療養」という方法もあると説明して下さいました。
簡単に言えば、地域の医師、看護士、介護ヘルパーさんが揃えば
自宅での生活も可能なのです。
N看護士がすべてをセットアップしてくれ(リハビリも医師経由でお願いしてくれて)ようやく自宅に戻れる日がきました。
前後して役所から、私の介護保険証が届きました。


介護認定を受けれたのは嬉しい(用具など借りられる)けど
私の実母と同じ、
要介護3には、マイッタ!!

食事
私の病室は4人部屋。私を除いて80歳代か90歳代のみ。
隣のベットのAさんは、日中はいつも寝ていて、夕方起きます。
ある日のこと、夕方急に大きな声で、「これから○○を始めます」と。
内容からすると、PTA総会か、学級懇談会らしいです。
「皆さん、学校に対する要望をどんどん言って下さい。終わりに近づくと
時間がなくて発言できなくなる方もいるので、左側の一番さん(私のこと)
何かお願いします」と。
そう言われても、困ったので無視していたら、発言するようにと迫ってくる。
ちょうど看護士さんが見えたので、メモ帳に書いて現状をお知らせしたら
上手にフォロウして下さいました。


私も意識障害の時は、色々言ったようなので、あまり他人様のことは言えませんが
病院にいると、楽しい経験が多いです。
特にナースセンターの真ん前の部屋でしたので、(一番手のかかる人の多い病床なので)

救急あり、その他ありで賑やかでしたよ。


夜の病院はとても忙しいです。2名の夜勤看護士さんが、巡回して
患者さんのケア(床ずれしないように、ひっくり返したり)
私のような者をトイレに連れて行ったりします。
忙しそうだったので「そうだバレないように自分で行こう!」と思いました。
ベットの周りは柵があるけど、電動ベットの足の方なら、低めです。
無事、ベットから脱出してトイレに着いた時、捕獲?されてしまいました。
それも「問題行動児童?」として、家に報告付で。
良かれと思ってやった事も、病院側には、迷惑だったのでしょうね。


翌日から、ベットの横にもシートが貼られ、足を床につけただけで
アラームが鳴るようになりました。
実質、私が動ける範囲は、一か月半は、たったの畳1枚
つまり、ベットの上だけでした。
残りの半月は、畳2枚、カーテンレールで囲われた、引出とか
衣類収納のロッカーがあるところまでです。

病室内も自由に歩かせてもらえませんでした。もちろん

洗面所とトイレは、最後まで一人で行かせてもらえませんでした。
よく、こんな狭い所で生きてこれたと、まるでシベリア抑留みたいに
思い出す日々です。
息抜きは、家族の見舞いです。車いすでお出かけは可能でしたから。