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長崎回縁隊のブログ

ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

念願の福井洞窟へ行ってきました。本殿が入っている所が洞窟で、横12m、奥行き6m、高さ3mで小さいものですが、これがなぜ国宝級と言われるのか調べてきました。

 

まずは洞窟ミュージアムへ行って下調べをしました。昨年6月に国指定史跡の中の特別史跡に認定され、国内最古で国宝級の遺跡となりました。

 

入り口近くでは勉強に来ていた子供が火起こし体験をしていました。モノクロ写真にしても古代人にはみえませんが・・。

 

ミュージアムに入ると福井洞窟の原寸ジオラマがあり、旧石器時代から縄文時代の洞窟での人類の暮らしぶりが映像で紹介されていました。洞窟の前には豊かな森と川が流れており恰好な生活空間だったようで、ここの同じ洞窟に1万年間にもわたって代々、人々が暮らしていました。

 

現在の福井洞窟は横12m、奥行き6m、高さ3mですが、19000年前の旧石器時代の頃は随分と大きかったのだそうです。また河原で拾える安山岩で大きな石器を作っており細石刃なども発見されています。

 

 

 

そこで現在の小さい洞窟の床から地下にある土を剥ぎ取って調べられ(黒い線)、それが16の層からなる事が明らかになったのだと思います(この写真は私のイメージで作ってみました)。すなわち旧石器時代の洞窟は現在の1層から16層の所まで空間があり、大きなものでした。

 

これがミュージアムにある福井洞窟より剝ぎ取ってきた約6mの実際の地層の一部です。全体では最下層の旧石器時代(19000年前)から 最上層の縄文時代(10000年前)までの16層からなっています。地層の一部ですが、写真は上から4層:砂の堆積;16500年前、6層;小さい落石 7-9層;炉の跡:17000年前などが示されています。すなわち、この様に下層から上層にかけて長い生活の歴史の変遷が分かる地層は非常に貴重なものだそうです。

 

地層の10層には2mを超える落石が見られ、17700年前に起きた地すべりにより洞窟が小さくなったと考えられます。

 

その後も小さな落石や砂の堆積などがありましたが、第2,3層の16000年ぐらいの層からは土器が見つかっており、絵に描かれた様に縄文人がここで暮らしていたのが分かります。その上の第1層に本殿が建っているので、その後はほぼ落石なども無く現在の大きさのまま今に至っていると思われます。

 

実際の洞窟へ行って見ましたが、思っていたより小さいものでした。洞窟の手前には稲荷神社の鳥居があり、洞窟の中には本殿が建っており、ここが剥ぎ取られた地層の第1層にあたります。

 

人々がここに暮らし始めた旧石器時代の19000年前の洞窟の地面はかなり下方(現在の石垣あたり)で、洞窟は白い線で囲まれた大きさでした。それが縄文時代までの10000年の間に落石や砂の堆積などを繰り返し、16層から1層まで積み重なって今の洞窟の形となっているとのことでした。その地層の中には石器、土器、細石刃などが発見され、継続して人々がここで暮らしていた証拠が残っています。

 

そして、ここの発掘現場から採取された地層がミュージアムに展示してあり、これがものすごく貴重でミュージアムのシンボルとなっています。すなわち旧石器時代から縄文時代の人類の暮らしぶりが同じ場所で発見できるのは極めて珍しいのだそうです。

 

洞窟の中に入って見ると、標高110mの森の入り口近くにあり、福井川が流れる浅い谷間などを見渡せる場所でした。もちろん十分な日影ができて涼しく、雨つゆをしのげる場所たったことでしょう。

 

洞窟遺跡は岩を屋根の代わりにして人が利用した遺跡の事を言うそうです。これは洞窟の床の写真ですが、少し段差があり、先の方は雨により表面がツルツルになっています。 手前は雨粒が落ちないので木の葉などのゴミが溜まっており、雨つゆをしのげる場所だと言うのが解ります。長崎県佐世保市は洞窟遺跡の数が国内最多の31か所ある「遺跡の町」だそうです。

佐世保市にある福井洞窟は昨年、国宝級の特別史跡になりました。その理由は旧石器時代から

縄文時代の初期までの間の約1万年間の地層が見られ、その中に継続して残る人々の生活の痕跡、動物、植物の変化などが1つ洞窟で解るオンリーワンの存在だからとのことでした。また細石刃と呼ばれる石器から土器が現れる過程や氷河期から温暖期への変化を見る事ができ、日本の夜明けを見つめてきた洞窟遺跡だそうです。30数年前に佐世保に勤務していた時は行けなかった場所にようやく行くことができました。