寺町の興福寺(赤寺)と鳴滝のシーボルト邸跡の紫陽花とヤマアジサイが綺麗です。
興福寺は日本で最初の黄檗宗(おうばくしゅう)の唐寺で江戸時代初期に建立され、今でも美しい黄檗文化を漂わせています。
山門をくぐると、黄檗宗の開祖で多くの優れた文化を日本に伝えた隠元禅師の像が建っていました。隣には斎藤茂吉の歌碑「長崎の昼しずかなる唐寺や・・・」があります。
この日は旗と吹き流しが掲げられていましたが、これは長崎独特のものです。中国から長崎に入港した唐人たちが、これを目安に興福寺にお参りし、航海の守り神の媽祖様を安置したそうです。
興福寺の紫陽花はヤマアジサイやガクアジサイが多く、これらをシーボルトがヨーロッパに持ち帰り、豪華な西洋紫陽花に改良され日本に再輸入されたと言われています。
「紅(くれない)」というヤマアジサイでは、最初は白い装飾花(見かけ上の花)が縁の方から赤く変化し、最後は真っ赤になります。
ヤマアジサイやガクアジサイは中心部の小さなブツブツが本来の花で、周囲の花に見えるのは装飾花だそうです。
装飾花だけが目立つようにヨーロッパで改良されたのが、良く見られる豪華な西洋紫陽花とのことです。
鐘鼓楼の前にあるのがカシワバアジサイで、葉っぱが柏の葉に似ているから名付けられたそうです。
次にオランダ人医師のシーボルト邸跡に行ってみましたが、彼が持ち帰り改良された西洋紫陽花が色鮮やかに咲いていました。奥にはシーボルト記念館があります。
シーボルトの胸像が建っていますが、江戸時代にはここに鳴滝塾があり、シーボルトの講義や実習により、優秀な人材を全国に多く輩出しました。
西洋紫陽花は豪華で美しく、又その原種のヤマアジサイも素朴で味わいがあります。そしてシーボルト邸跡には西洋紫陽花が似合い、一方、シーボルトが原種をヨーロッパへ持ち帰える遥か以前に建立された興福寺にはヤマアジサイが似合っていますね。