祈りの町・長崎(2)十字架山 | 長崎回縁隊のブログ

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ご縁が回って、全国の方々と知り合えればと思います。
そして、少しでも一隊化できる場所があれば最高ぜよ。

先日、ローマ教皇フランシスコが来崎されました。丁度、家の前を通られましたので写真が撮れました。普通の車だったので驚きました。

 

今回、法皇様が訪問された26聖人殉教地もカトリック教徒の公式巡礼地での一つですが、ここ十字架山と聖母の騎士のルルドの3か所が公式巡礼地です。

 

ここ十字架山は、潜伏キリシタン関連遺産の一つである大浦天主堂(世界遺産)と関係があり、江戸時代末期の1865年に大浦天主堂で信徒発見(潜伏キリシタンの告白)がありました。

 

江戸時代、250年間の潜伏時代を経て、ようやく浦上天主堂で宣教師と奇跡の出会いを果たした浦上のキリシタンは、ここサンタ・クララ堂などでミサなどを行っていました。

 

当時、浦上の人は聖徳寺の檀家になること事を強制されていましたが、つい自分たちだけで葬式をしてしまい、それにより潜伏して信仰している事が明るみに出てしまいました、

                                     

そこで明治元年、浦上キリシタン3394人は他藩へ強制移送されました。5年後、禁制が解かれて、浦上の地に戻って来た時は、600人以上が死亡していました(浦上四番崩れ)。

                          (キリシタンの方のお墓)

 

浦上に戻って8年後の明治14年、300~400人で山頂まで運んだ十字架(当時は木製)です。ようやくキリスト教の信仰が認められた喜びと禁教時代の踏絵を謝罪するために自分たちで整備しました。

 

辻町の昭和馬町線(県道)「平の下」バス停付近に十字架山への登り口があります。坂の町、長崎ならでは急こう配の坂が続きますが、重い十字架を背負って運んだとは驚きです。

 

しかしながら禁教時代や信徒発見後の他藩への強制移送などで味わった苦悩からすれば、それほどの重さでは無かったかもしれません。

 

私はカメラ一つだけでハーハーしながら、ようやく頂上にたどり着きました。

 

キリストが十字架に架けられたエルサレムのカルワりオの丘にちなんでカルワリオ山とも呼ばれるそうです。昭和25年、ローマ教皇ピオ12世により公式巡礼地に指定されました。

3394人が明治政府により名古屋以西の藩に預けられ、600人以上の殉教者を出し、多くの人が元の家には戻れなかったのに、彼らは「旅」と呼んだそうです。