今年の12月、全国の温泉地総選挙の「歴史・文化部門」で島原温泉が1位になりました。島原半島は温泉以外にも、魅力的な歴史や文化に溢れた半島です。そこで諌早城下から始まる島原街道を通ってみました。
以前のブログで紹介したクジラが捕れた諌早津(長崎街道の有明海ルート)の近くから島原街道は始まっていました。下の図の赤い線が今回のルートで「北目道コース」
です。
諌早の栄町アーケード街を南に出て、島原鉄道の踏切手前が、諌早城下の南の関門口で番所がありました。島鉄が横切っています。
この道を南下し諌早バイパスを横切ると小栗小学校があり、通り過ぎて進みます。
すると、県内最大級の大スギのある夫婦木地区にたどり着きます。樹齢700年以上立っていますが、落雷により幹が2つに裂けておりベルトで縛ってありました。
ここから先は道が細く、さすがのミニクーパーでも無理のようで、暗殺されたらと思い迂回しました。そして本来の島原街道に戻り、森山の上井牟田を通り抜けました。
左が橘湾沿いに長崎まで続く国道251号線で、右の細い道が上井牟田を越えてきた島原街道です。ここにも「ながさき龍馬くん」がいました。
進むと、旧小浜鉄道へ繋がるの愛津駅跡がありました。
島原半島に入るのに設けられた関所の1つ土井口番所跡にたどり着きます(最初の地図参照)。役人、番人15人で監視の目を光らせていたそうです。
近くに元愛津村庄屋・深浦邸があり、1864年、勝海舟に同道した龍馬が泊まりました。日本地図を作成した伊能忠敬も宿泊したとの事。
母屋は取り壊されたが、京風庭園跡が残っています。子孫の方が住まわれています。
そこを進むと島原鉄道の愛野駅・吾妻駅、干拓道路入口に至ります。更に鉄道沿いに、海苔ひびの立つ諌早湾を見ながら走ります。向こうの山は多良岳です。
しばらく走ると神代(こうじろ)に着きます(最初の地図参照)。ここには歴史的建造物(塀・生垣・石垣など)が建ち並び、宅地割り、道路、水路が江戸中期の頃と変わっていません。
神代小路(こうじろくうじ)といいます。時代劇で見るような武家屋敷跡も残っています。
立派な長屋門と30メートルの石垣も残っていいます。
ここは佐賀藩・龍造寺(後に鍋島)の飛び地でした。すなわち豊臣秀吉の裁定により、功績のあった佐賀鍋島領として有馬(島原)藩の中に残されました。有馬の動きをけん制するためでした。鍋島邸の破風の門と緋寒桜は有名で、2,3月に緋色の花が咲き乱れます。
書院座敷と枯山水の庭園も見事に整備されています。
勝海舟一行が長崎からの帰途、ここで休憩した記されています。
次は島原城に向かうぜよ。















