子供のころ、確かに夢に見ていた。
けれど、遠すぎて遠すぎて、いつしか夢すら見れなくなった。
あれから長い年月が経ち、なぜかチャンスだけが巡ってきた。
人生で一番の晴れ舞台。
OWSジャパンオープン。
2015年シルバーウィーク最終日。
私にとって、最も熱い夏になった。
なぜ出場できることになったのか、というところから始めると、無駄に長くなるので割愛。
ともかく、ある大会で上位入賞し、私はジャパンオープンの切符を得た。
この大会は、リオデジャネイロ五輪の代表選考会でもあり、
W杯代表選考会、全豪選手権選考会でもある、凄まじい大会だ。
トライアスロンのエイジがどうのとかいったレベルではない。
年齢なんてものは一切考慮されない。当然だ、日本の代表を決める戦いなのだから。
レース1週間前にスタートリストが発表された。
8割方、大学生・高校生の現役、1割が自衛隊を含む、実業団。いわゆる泳ぐのが仕事の人達。
残りの1割が地方大会を勝ち抜いた普通の人。30歳台はここにしかいない。
私はもちろん、ただの一般人Aだ。
前日から戦いは始まっている。
いや、もうとっくに始まっているけど、我々一般人はコーチというものがいない。
絶対参加の監督者会議には"本人"が行くしかない。
同じチームの仲間同士しか話もしない、ピリピリした空間の中で、
一般人組(シニア組)は「おーい!こっちこっち!」と仲間意識モード。
男子はYさん、Hくん、せっちー、師匠、そして女子はKさん、Iさんなど、知った顔ぶれで固まった。
人生経験だけは重ねているが、全国大会は全員が未経験。
ムキムキのゴリラみたいな男女に囲まれて、明らかにひょろっこいオジサンオバサン集団はビビってた。
異常にお堅い説明を聞き、MIZUNOの新作OWS水着をレンタルし、宿へ戻る。
とりあえず、誰もコースは知らないけど(笑)会場となる北条海岸を見に行く。
やっぱり見てもコースはわからないし、気になるのは、試泳している他の選手の泳ぎだ。
「あれは速いなー」「泳ぎのレベルが違うな」「すげーなーすげーな」と、興奮しきり。
たぶん全員の頭の中にリタイアの4文字がかすめていったはずだ。
宿に戻って夕食を取る。
館山シーサイドホテルという、とってもハイレベルっぽい宿にしたのに、
行ってみると国民宿舎というか、合宿所みたいな感じ。
壁はぺらっぺらで廊下の声は筒抜けだし、鍵もガタガタ不安だし、食事は大広間だし、
この旅で1番残念だったぐらい、ほんとガッカリ。
二度と泊まりたくない。
夕食だけはしっかりがっつり食べて、お風呂に入って、すぐ就寝。
起きたらしょぼいベッドで腰が痛いけど、とにかく朝ごはん。
朝食付きだったのに、7時半からしか無理とつっけんどんに断られた。
そんなわけでコンビニで買い込んだごはんをガチで詰め込んだ。
朝7時過ぎに北条海岸へ。
かなりの人数が集まっている。シニア組は遅めの集合。
現役組はすでにアップを始めている。きっと疲れないのだろう。
レースは10キロ。アップするだけでも疲れる・・・。その体力を残しておきたい。
ゼッケン番号は、手の甲両方と、二の腕両方と、肩甲骨(?)両方。
書きすぎ!
爪の検査や、ドーピング検査(?)もあるらしい。
水を渡すための給水竿も最長5mまでと規定があるらしく、前日に必死に作成し直した。
そんな給水竿の許可も得て、給水者のチェックまである。
でかい大会は大変だ!!
レンタルした水着を着て、シニア組で集まってスタートを待つ。
結構長かったはずなのに、時間は早く過ぎた。
男子は10時、女子は10時2分スタート。
鈴木大地会長の挨拶etc・・・があって、じりじりと照り付ける太陽の下、いよいよスタートだ。
シニア組のメンバー同士、エール交換☆みんなでがんばろ!
まずは男子が横一線に並ぶ。
黒い背中に白いキャップ。
遠い人、近い人があって、とても不平等な感じもするが・・・
後ろから見てて、すごく、すごく、カッコよかった。
2分後、自分もそこにいると思うと誇らしかった。
師匠の名前を呼ぶ。師匠が手を挙げる。かっけー。
続いてすぐに女子。
私はIN側の1番いい具合のところ。
始まる前に、2つ隣にいた優勝候補の貴田選手に、「ゆっくり行ってね!」というと、
「代表がかかってるんで・・・」と優しく返された(笑)
こっちも、足切りがかかってるんだよ(´・ω・`)
でも、がんばってね、と応えておいた。オトナの余裕?
コースは、1.25km×8周。トップ選手のゴール後、30分で足切り。強制終了。
周回遅れは避けられないが、1周18分以上かかることを考えれば、6周目までは逃げたいところ。
そして、男子トップには4周目終わりぐらいまでは抜かれないように粘りたい。
ホーンが鳴って、一斉にスタート!
貴田さんペースを体感しよう!とつまんない冒険心に駆り立てられ、ついていく。
10掻きで、体1つ離された。
次の10掻きで、キックの泡もなくなった。
次の10掻きで、周りから押し寄せてきた選手に挟まれ、乗られ、わやくちゃにされた。
怒涛のスタートに、戦意喪失。
ゴーグルに入った水が気になって仕方ない。
でも、どうせ戦えないのだから、いけるとこまで行こうと、必死で私を抜いていく女子に食らいつく。
何回、ナニクソ!と思いながら千切れたことか・・・。
見送った選手の手を見ながら、落ちてこい!落ちてこい!と、呪い続けた。
まぁ、現役ばっかりで、誰も落ちてくるはずはないんだけど。
1周目は何人かで泳げた。
2周目も誰か1人と泳いだ。
3周目は誰かが遠くに見えた。
4周目、コースの最初にある給水を抜けたところで、ドドドドドド・・・・・という地鳴り(水鳴り?)が聞こえてきた。
男子の第一集団が6人ぐらい?凄まじいスピードで抜いていった。
え!?もう!?
5周目近くまで行きたかったのに!これはやばい!
焦りだす。
でも体調万全ですらなかった私には、これ以上のスピードアップは厳しい。
ゴーグルに入った水だの、ゴーグルが曇るだの、手首のチップがずれるだのと、
つまんない言い訳ばかりが頭を横切り、そのたびに直し・・・。
正直レースに集中できていなかった。
水分補給も2回と決めていたのに、休憩したくて4回も寄った。
5周目。またまたコースの最初のほうで、女子トップに抜かれた。
!?!?!?!?!?
早くない?まだちょうど半分超えたところなのに!
すでに1周分(約20分)の差ができていた。
ここまでで20分開けられて、残り10分差で止めれるか!?
一気に自信が薄らいだ・・・。
つらい、苦しい、腕ぱんぱん、言い訳はいくらでも出てきた。
でも、いつも出る股関節痛がなかったので、多分実力すら出し切れていなかった。
6周目も7周目も、気乗りしないまま泳いで、8周目。
そのころにはほとんどの男子に抜かれ、みんなゴールの花道を進んでいた。
でも私はまだ1周ある・・・。
まだ止められない。まだ泳げる。
だんだん楽しくなってきた。
もうきっと最後までは泳げない。でも自分がどこまでいけるのか、知りたかった。
最終周回でようやく火が付いた。まだ泳げる、まだスピードをあげられる。
何も考えられないけど、ひたすら手を回し、ひたすらキックした。
最終ブイを回った。あとはロープで仕切られたゴールへの花道を進むのみ!
ここまでいけたら、たとえ足切りでも泳がせてもらえるだろう!!
残り100m。両親と、師匠が見えた。
残り50m。めっちゃ呼んでくれている!もうちょっとだ!
残り・・・・・・ジェットスキーが右から接近してきた。
私の進路を遮って、胸の前で大きく腕をクロスして×マーク。
「タイムアウトです」
非情すぎる。。。。。
湘南四天王であり、レジェンドでもあり、この大会で役員をされていたSさんが、
最後まで泳がせてあげて、と言ってくださり、ゴールまで泳ぐことができた。
ありがとうございます。
結局、2時間40分ほど泳いで、DNF。
残り20m。
これが今の実力。
さすがに号泣したけど、光速でスッキリした。
シニア組は、師匠&せっちー以外は全滅だった。
私のジャパンオープンはまだ終わっていない。
毎年ぐんぐんレベルの上がっていく競技、来年はさらにレベルアップするだろう。
それでも私は絶対出場して、完泳する。
あわよくば、1人でも上位で完泳する。
そんなわけで、この冬は必死で泳ぎこんで、必ずリベンジを果たします。