「 Accomplishing the impossible 」 -2ページ目

今年もあと少し。

今年も残り僅か、3週間をきった。
今年を振り返ると、稀な経験を積む事ができ、辛い事も沢山あった。
そして、自分の精神的な飛躍的成長と価値観の拡がりを実感できた。


古代ギリシャでのある賢者の話がある。
その賢者は非常に賢く、物事の道理を良く理解している人物であった。
ある日、民から質問で以下のようなことが聞かれた。
「この世で、最も知ることが難しい事は何ですか?」
賢者の答えは、「自分を知ることです。」


今年の初めに抱負として自分に掲げたのは、
「自分から逃げないこと。現状から逃げず、客観的に見れる自分になること。」
出来たか、否かと聞かれると、口籠ってしまう結果ではある。
しかし、幼少より悲観的に自己を見つめる習慣を持つ自分にとって、これにより得たモノは大きい。
違う見方をすることで、自分の強み・長所を素直に受け入れる事が出来、自分の内からの声も聞こえるようになった。
未達成には終わったものの、成功はした、と考える事は出来る結果である。

副産物ではあるが、自分をみる練習になった。
恐らく、就活に勤しむ方々は自分診断の様な事をするのだろう。
自分で自分を観ることは、正直怖い。
しかし、自分を観れる人こそが成功すると、自分は踏んでいる。
同様に、古代ギリシャの賢者の言葉を借りると、

愚か者が自分が愚かと思うならば
その人はそれによって賢者だ
愚か者が自分を賢いと慢心するならば
その人はそれこそ愚か者と言われる



話は大換するが、今月の初め、12月1日が如何なる日かご存じでしたでしょうか。
エイズ予防デーでした。
最近の芸能ネタで、元(?)芸能人の若槻千夏さんがエイズの検査に病院へ行くも、
匿名で検査を依頼したにもかかわらず、看護師さんに、
「若槻千夏さんですよね?」
と言われ、若槻さんが憤慨したという記事を読んだが、有名税もここまで来ると可哀想に思える。

下の動画は、

Queen - Bicycle Race 
周知の通り、フレディは1991年にHIV感染合併症により他界している。
追悼コンサートでのyoutubeの動画は中々迫力があり、一見の価値はある。
恐らく、ボウイとフレディのUnder Pressure の合成?の動画が上がっている筈である。
載せるなら、Bohemian Rhapsodyじゃないか聞かれるかもしれないが、
動画を観ていたら、インパクトがあったので選んだ。
あと、カッコいい自転車が欲しいからという理由も小さく付け加えておく。
誰もが聞いたことがある、Queenの比較的初期の曲。


James Morrison

知名度が分からないので、小さく書いときます。


UKシンガー・ソングライターのJames Morrisonが今月の11日に新曲を出しました。

曲名は「Get to You


James Morrion について少し書いておくと、

2006年に20歳(21歳だったか・・)という若さでデビュー。

デビュー曲である「You Give Me something 」が欧米、日本、オーストラリアでヒット、それ以来注目を浴びる。


容姿は二枚目、歌声も渋い声、年齢も25歳と若い。

自分も一日でいいから無駄にいい声になりたいです・・・・

飛石連休

深夜のコンビニで、顔を数回しか見たことがなく、知り合いと呼ぶのも憚られる様な人に何ヶ月ぶりにあった。

名前を覚えることが苦手な自分でも、人の顔を覚えることにおいては自信があり、今回も例外ではない。

でも、

Pine久しぶりです、@@さん。」

@@ ・・・・・・・、他の@@さんとお間違いになられてるんだと思いますが・・・・。」


良かった、名前は@@なんですね。でも、あなたなんですよ。

その後、思い出してもらおうと色々説明するも、どうも思い出して貰えず失敗。

非常に虚しかった・・・

人に覚えて貰えない、忘れられるのは正直悲しいがどうしようもない。ましてや、数回なんて難しいのだろう。


似たようなことは、人の会話でも起こる。


例えば、前日友人にあることを話す。

そのあることは、進展が起こりそのことを今日友人に話してみる。

が、友人は覚えていない。


、みたいなことである。

これに関してはこの件に関して言えば友人の立場の輩が全面的に悪い、と自分は思う。

(ついでに言うと、”@@さんですよね?事件”に関して言えば、印象が薄い自分も悪いとは思う。だが、虚しいものは虚しいのである。)


人と話をする時、楽しい等の良い気持ちを抱く理由の一つに、話をテンポ良く進めさせる前もっての準備にあると思う。

例えば、女子高生等に昔流行ったであろう、KYという言葉(略語)。

これは、最初は仲間内のみで使われていたはずであり、他者には予想は出来ても理解しにくい。

この略語が、仲間内だけの言語となり、話のテンポを気持ちの良いものにする。


例に出した”前日話したことを友人は覚えていない事件”にしてもこれが当てはまる。

友人に話しておいた(でも他の人に話したかもしれないし、してないかもしれない)事が準備の段階にあることで、話がテンポよく進む。

その準備段階を無視して、話をしても話をする側にとってすれば、煩わしいだけで面白いと思う要因にはなりえない。


自分には保育園の年から仲良くさせて貰っている、半ば腐っているが、友人と呼べる人がいる。

その友人は、他愛無い話でも話していると必ず笑っている。 

自分達だけの言語が豊富にあり、話の内容が何倍にも膨れ上がるからである。

でも、たった数年での知り合いでは同じように行かない。なぜかは明白だ。


よく自分を知っている人に、「お前の話は跳んでいて理解が出来ないときがある。」なんて云われる。

主語をはっきりさせろとも云う輩もいる。(手紙で話してるのではないのだから、話の流れぐらいは掴んでおいて欲しいとだけ云っておく。)

しかしそのせいで、話がつまらなくなっていたのであれば、素直に謝ろう。すまない。

しかし反論として、自分の中では準備をしっかり行った上で話しているということを理解して頂きたい。

準備をしない、聞き手の知識がどんなものかも知らない等の会話状況でそんな話は断じてしない。


勿論、準備や何チャラがどうたらこうたら等、聞き手にいちいち話す訳がない。

だから、わかって貰えない・準備不十分等分かれば飛び石の様な話はしないし、もっと云えば全てに主語をつけて話す。

でも分かるとおり、こんな会話は程々に楽しいのかも知れないが、疲れる上に、さらに楽しいものを知っている以上退屈に感じる。


今回のコンビニでの話もそうだが、忘れられているというのは苛々するというより、非常に悲しくなる。

会話はキャッチボールなんてよく言ったものだが、まさにその通りである。

初心者に向かって時速100km近い球は投げないし、慣れたもの同士なら相手の取りやすい場所に投げるのが普通というものである。

これを読まれた方は一度上記のことを意識・注意してみてはいかがだろうか。