お食事はココ。ホテル内のイタリアン。
残念ながら、お料理の写真は、場所が場所だけに遠慮しました。
ティーラウンジからはJAZZが。
イタリアンレストラン内では、オペラが披露されてました♪
一人二万円のフルコースに舌鼓を打ちました(^-^)/
美味しかった~
iPhoneからの投稿
今日は特に用事もないので、のんべんだらり~んとしています。
最近はブログに書くネタもなく(笑)、
週1ペースになってしまっており、スミマセン。
今、こたつをあげるか否かで悩んでます。(幸せすぎる悩みです)
あるとあったかいけど、わたしののんべんだらりん時間が長くなり、
ないとほかの暖房器具にしわ寄せが・・・(要するに寒がり)
ちびまる子ちゃんの冬の暮らしを想像していただくとわかりやすいかと。
それ以前に、「部屋着」というものを購入せねば!
そんなものにお金を使うのがもったいないので、
服の購入は外 出着のみなのですが、
タンスを開けるとほんとーに家で着るものがない。
スポーツブランド系のちょっとしたスウェットでも買おうかな?
いつも宅配便のチャイムに恐れおののくペッペッペでした^^;
釜ヶ崎に夜回りに行ってきました。
娘に声をかけると「行く!」というので、連れて。
事前におにぎり5合で20個を頼まれていたので、
えっちらほっちら握っていると、
5合で12個しか作れなかった・・・
なので、急遽さらに4合炊くことに(^_^;)
冬のおにぎりは大きすぎるとかえって体を冷やしてしまうので、
小さ目がいいとのこと。
要メモ。
夜回りしてみると、今まで見えなかったことが見えてくるので不思議。
ガードレール下のフェンスは、路上生活できないようにするため。
なんて冷たい行政かと怒りがこみ上げる。
この逆風が、足下劣大阪市市長のせいでさらに加速することは必至。
どういった経緯で釜ヶ崎に来られて、路上で暮らしてはるんだろ・・・と、
いろんな思いが交差する。
胸が痛くなる。
30代と思しき青年路上生活の方は、なんと震災にあい、
それまで暮らしていた新幹線の高架下を追われて、
「大阪に行けば暮らせるらしい」との言葉を頼りに、自転車で大阪まで。
なのに今日、明日までに撤去せよとの行政の命令が。
たくさんの荷物で、どやにも泊まれないらしく、
引率のT先生が、詳しく相談場所などを教えてはった。
どうかどうか、無事に引越しできますように・・・
偏見もあるだろう、路上生活。
みなさん、ごくごく普通の方たちばかりです。
そしてとても優しい方たちばかりです。
そういうことを、私も今日身を持って知った。
びっくりしたのは、二手に分かれて路地裏を夜回りしていたときのこと。
私ともう一人の男性(二人とも初心者)の大人たちががおっかなびっくり、へっぴり腰でいるのに対し、
娘はずんずん歩いて、どんどん声かけて、おにぎりを配って回っている。
この子は小さい頃から、弱い立場の人を支援するというのが使命のような気がしてならない。
なんの偏見もないんだな。
手前味噌っちゅうか、わが子自慢で申し訳ないけれど、
ほんと、この子の精神性の高さにはほとほと感心する。
普通、中学生の女子が釜ヶ崎の夜回りについてくる?
今夜回って、心から感じたこと。
「支援する側のほうが、たくさんのものをもらう」です。
結局、私たちがいろんなものをもらって帰ってくるのですね・・・
だからまた行きたくなるんだな。
その後は、お食事&ジャズライブin釜ヶ崎でした!
これは明日またアップしますー

能天気な正月日記はそろそろ終えて(笑)
正月の終わり、というかとっくに終わっている今日4日に、
「おくりびと」を見ました。
感想、、、号泣。
ほんわか、ユーモアをまじえて描いているのですが、
テーマはご存知、「死」。
「死」がどういうものかとかいう、哲学的なことは横において、
誰にでも訪れ、日常に溢れているものが「死」。
その「死」を忌み嫌うこと自体が、本当は違うのかもしれません。
私の好きな仏典にこんな逸話があります。
ある身分の低い女性が幼子を亡くした。
女性はその子の亡き骸を抱いて、仏陀に問いかけた。
「この子を生き返らせてください」と。
仏陀は答える。
「誰も身内で死人を出したことのない家に行き、芥子の種をもらってきなさい、
それを飲ませればその子は生き返るでしょう」(ちょっと違ったらごめんなさい(^_^;))
女性は方々の家を訪ねて、探して回った、
『誰も死人を出していない家』を。
やがて彼女はそんな家がどこにもないことを悟る。
そして、わが子の死を受け入れていく・・・
この話を読んだとき、感動で震えました。
「死」は特別なことではなく、どこにでもある日常。
そして、それは誰もが乗り越えていかなければならない試練だということも。
私は父を突然目の前で亡くしたショックで10年寝込みました。
おそらく母はもっと辛かったことでしょう。
それでもやがて受け入れていけるんですね。
そんなことをつい先日も、そして今日も感じました。
主人公の生き別れた父が死に、遺されていたのはダンボール一つだけ。
72年生きて、たったダンボールひとつだけの人生。
何かを遺すことが人生ではないけれど、
たった一度や二度の失敗やつまづきで、
人生すべてを棒に振るような、そんな国は優しくないと思います。
私は何度失敗したって、何度でもやり直せる、そんな国作りが大事だって思う。
人間だもの、失敗だってするし、自分の失敗じゃなくっても、転落してしまうことはたくさんある。
むしろ、自分の失敗じゃないことのほうが多い。
震災は、あれは誰かの責任ですか?
あれは自業自得ですか?
私、自業自得って言葉大嫌い。
誰かのせいにするのはよくない、でも誰のせいでもないことってすごく多い。
だから、何度失敗してもやり直せる仕組みを作らなアカン。
そんなことも映画を見ながら思いました。
主人公もいきなり解雇されたしね。
ちょっと映画の本題と外れてたかもしれないけど、
自分で「自業自得だ」とか思う人、
他人を「自業自得だ」と思う人、
そういう人がひとりでも考えを変えてくれたらなあと思う毎日です。
今年はもっと優しい人間になりたいっていうのがテーマかもしれません^^