December 2004

この作者はぴもーに似てる。そんな事を言うのはおこがましいとはわかってはいるが、ぴもーは同じにおいを感じてしまった。でももしかしたらみんなもこういう考えとか持ってたりするのかな?それをランディさんがうまく代弁してくれてるのかも。とにかくあぁ、ぴもーの心にもやもや~っとつっかかってた事はこういうことだったんだなーんて思える作品だった。

ただ、ぴもーは自分がおばちゃんになったらこういう風になってるんかと思うとそれじゃダメな気がする。ぴもーはランディさんを超えていかなきゃと思う。なんでだろ。とてもいい生き方だと思うけど・・。

あ、そうか。ランディさんが自分が小さいことで思い悩んだり、ちょっとして事をとても後悔したり・・そういったことを素直に飾らずに表現してるからかも。それってはっきり言って生産的なことではない。うん。でも大事なことだ。それにそれをアウトプットしてぴもーという人間に「お前はしっかりやれよ」っていうアドバイスをくれてる。十分じゃん。

身の回りのこと以外に、戦争、消費、労働といったテーマを専門家ではないからこその目でよく観察している。この辺はぴもーと最も違うとこ。まだまだぴもーの眼力の透過率は低い

きっとランディさんみたいになろうとするのがいいことではない。でも少しずつ哀しみや怒りや優しさを積み重ねてランディさんみたくなっていくのかも。
それが正しいランディのなり方な気がする。



著者: 田口 ランディ
タイトル: ほつれとむすぼれ
大学の講義より

アメリカかどっかの原住民の言語には時間を表す言葉がないらしい。日本語も英語もドイツ語も(ぴもーがわかるのはこれくらいだけど)程度の差こそあれ時制というものはある。時制がないというのは不便じゃないんだろうか・・?それとも時間で区切った生活をしていなければ時制なんてものはいらないもんなのかな。とにかくそういう言語が実際にあるそうだ。

しかしこれは未開社会(というと語弊があるが・・)だから時間の概念が不必要なのではなくて、この言語でも近代科学で証明されてきた物理法則や宇宙の仕組み(相対論やビッグバン理論など)を正確に捉えることは可能だという。

ぴもー的には、「それって球を考える時に極座標で考えるか、デカルト座標で考えるかって違いなのかな」と思ったのだが、そうではないらしい。

Aということを認識する上で、言語が異なる者同士(例えば日本人の健治とスロヴェニア人のローク)がそれぞれ正しく認識したとする。そして健治とロークそれぞれにAの内容を説明してもらった場合に、Aの内容はもちろんお互いに矛盾しない。しかし健治の頭の中で想起しているものと、ロークのそれは異なるものなのだ。・・と大学の教授は言っていた。

つまり「言語が異なってもある一つの事が同様に理解できる。しかしそれは同一のものではない。」ということかな。ほんとかぁ?しかし標語的に言えば「言葉が違えば世界も違う」 ということであり、それはおもしろい考えだと思った。

例えば日本語の靴と英語のshoeは指すものが同じでありながら、それぞれが含む事柄は微妙に違う。靴は片方でも一足でもよく、shoeは片方だけだ。そして当然、語源や語感も字面も違う。これらのことが積み重なって各言語の世界が作られるのだから、そりゃ違うわなという感じがする。ぴもーのこの例えは間違ってるかもだけど・・でもなんだかおもしろい♪

ことばって奥深いね(^-^)

November 2004


これまたちょっと不思議な話だった。内容がちょっと不思議だけど、それを全然違和感なく受け入れてしまう自分も不思議だった。

ちょっと残念だったのは主人公が『ノルウェイの森』に出てきた主人公とかぶってしまったことかな(笑)村上さんの書く作品はあういう人が多いのかな?・・ってそれ以外読んだことないぴもーが言うのはナンセンスか(+。+)でも主人公の人柄自体はすごく好きだ。心がすごく自由でちょっと達観したところがあるけど、世間ではごくまともな人としてやっている。そして美男ではないがその不思議な魅力で、ある種の女性からはモテる。繊細に見えて実は心のタフさをもってる感じが好きだ。

ストーリーは純粋におもしろい。「さすが売れっ子作家だな」と心の中で皮肉りながらもページを繰ってしまう。自分とは住む世界の違う登場人物たちなのに、なぜか共鳴してしまう。そして読んだ後にすごく優しい気持ちになる。「村上ワールド」とはよく言ったものだ、うむ。この人にしか描けない世界がやっぱりある感じがする。ただし、いろんな文化的素養がないぴもーにはよくわからない例えとかもあったりするので、映画、ワイン、クラシックなんかも詳しくなってから読むともっと◎な気がした☆


著者: 村上 春樹
タイトル: スプートニクの恋人

October 2004

10月はぴもー的には快挙!の三冊読破☆友人の推薦により読んでみることにした本だ。これは高校の倫理の授業で出てきて、題名と概要は知っていた。これは「ひしょく」と読むのだけど、そのタイトル通り「色ではない」ということを言いたい本なのだ。何が「色ではない」のかというと人種差別のことを指している。

テーマが重いなぁと思いつつ読んでみると、意外にもスラスラ読めてしまう。作者の有吉さんは戦前生まれの人、文章も古いと思いきやそうでもない。主人公の女性の視点から生き生きと描かれている。人種差別のテーマは初めから終わりまで常にそこに潜んでいるのだけど、単に物語としてもすごくおもしろい。次から次へといろんな出来事が起こる。

このタイトル通り、人種差別は肌の色ではないのだ。じゃあなんなのか?その答えは用意されていない。昔の作品なのに、現代でも十分影響力のある作品だと思う。

有吉佐和子さんの生涯が知りたくてWEBで調べたら、父親の仕事で海外にも住んでいたようで、早くから売れっ子作家だったようだ。ちなみに『笑っていいとも』に出演とかしてた(笑)あの番組ってそんな前からあったんね・・。


著者: 有吉 佐和子
タイトル: 非色
駅のトイレにて



先日、駅の公衆トイレで足元や洗面台の周りをキョロキョロしている女性がいた。ぴもーは友人と二人で洗面台でメイクをしていた(普段はそんなことしないんだけどね・・苦笑)。5分くらい経っても、ぴもー達より先にいた彼女はずっと探し物をしていた。ぴもーも経験があったので「あー、コンタクトなくなったんかなぁ(>_<)」と思いつつ、黙っていた。しかしその後見るに見かねて「コンタクト落としたんですか?」と話し掛けながら軽く探す態度をとったら、「あ・・はい。あ、でもいいですいいです。」と恥ずかしそうに彼女は言った。それでぴもーも何も言えなくなってしまって、結局何もせずにトイレを出てきてしまった。

トイレを出てすぐに、友人が「出てきちゃってよかったかな?」と言った。しばらく考えてぴもーは「時間ないし、しょうがないよ。行こう。」と答えた。少し歩いて「いい判断だね。」と友人は言った。それを聞いてぴもーはなんだかすごくほっとしたのだ。そう、この友人はそういう人だった。

彼女の真意は知らない。しかしぴもーには、ぴもーの気持ちを汲んで彼女がそう言ってくれたような気がした。ぴもーはその時、困ってる人に中途半端に優しさをかけてしまったことの罪悪感を感じていて、しかも自分が「困ってる人を放って行く」という決断をしたことに対して、現代人に稀なほどの優しさを持つ彼女が多少の幻滅なりをぴもーに感じてはいないだろうかと不安に思ってもいた。その気持ちも包み込んでの言葉に感じたのだ。「あー、優しいなぁ」と思った。

人にはできることとできないことがある。困っている人がいたら何を差し置いてでも助けなければいけないと考えるのは偽善的だ。だからといって見過ごすことがいいとも思わない。その時自分が苦しくならない程度にできる限りのことをするのが優しさというものにあたるのかな?うーん、難しいな。でも優しさってものが何なのかよくわからないのに、ぴもーは友人から優しさをもらったと感じた。・・変なの(+。+)

ただ願うのは、あの人のコンタクトがその後すぐに見つかったということと、ぴもーに優しさを与えてくれるこの友人がずっとぴもーの友人でいてくれること。そしてぴもーも誰かに優しさを配れる人になりたいということだ。