木を切ることが環境保全?



先日、森に行ってきた。ちゅうでん・エコの輪という中部電力と市民団体の組織が主催したイベントで、一般の人を中部電力の保有林に招いて森林への理解を深めてもらおうというもの。森林に関する講義と木の伐採見学・体験という内容。

朝8時に駅に集合してちゅうでんが用意してくれた車で下呂の保土ヶ谷(ほどがや)山林へ。
驚いたことに参加者は8人。抽選ということは知っていたけど、こんなに少人数で連れて行ってくれるのかーと、まずちょっとうれしくなった。
中部電力の有志の方がガイド役を勤めてくれたのだけど、この人が非常にいい人!かつおもしろい人で、この日はそれだけでも来た意味あったなーと思った。
これだけでもちゅうでんの評価はぐっと上がる。
社員の人柄こそが最大の企業宣伝効果なり。

下呂に着くと、まずは大学名誉教授による講義。
なかなか個性的なおじいさんで、スリムジーンズと大きなバックルのベルトそしてフランクミュラーの時計を身に着けていた!
話自体もなかなかおもしろい。トリビア的なことも織り込んで日本人の森との付き合い方について熱く語ってくれた。

次は保有林の管理をしている人のお話。
こちらはもっと現実的に日本の森林と環境、経済について詳しく教えてくれた。
以前、池内了著「我が家の新築奮闘記」を読んで以来、日本の森林事情に興味を持つようになったけど、やはり池内さんが言っていたことと同じようなことを言っていた。

日本は世界有数の木の消費国なのに、日本国土の森林占有率も世界トップなのに、ほぼ80%を輸入木材に頼っている。
国内の林業の衰退も激しい。

まず、日本には森林がたくさんあることについて。
日本は先進国で唯一、森林破壊をせずに発展してこれた国である。
しかも現在も森林占有率は昔と変わらず80%を維持し続けているそうな。
これは国土が山がちであることはもちろん、雨が多く、ほうっておくと勝手に植物が芽生えるという恵まれた気候にも関係がある。
「後は野となれ山となれ」とはよく言ったもの。
外国ではがんばらないと野にも山にもならない国が圧倒的で、世界の森林占有率は平均20%だそうな。
さらに日本人の性質が自然植物をこよなく愛して来たことや、切ったら植えるという精神が存在したも重要。

次に輸入木材について。海外の環境保護団体からは他国の環境を破壊して卑怯だということも言われるようだが、これも貿易摩擦を考えたら輸入規制をして国内の木材を使うことは難しい。
しかも輸入のほうが大量に大きな木材が手に入る。日本の木材は、戦後大量に植えられ、まだ木としては若く、それほど太い木はなかなかないようだ。

実際、輸入規制を敷いても、日本の林業の現状ではとても消費量をまかなえない。林業が衰退しきっているから。
木はあるのに使うところまで持ってくるのが難しい。人件費・運送費の高騰、後継者不足。。。
林業は何十年というスパンの仕事であり、経済の急激な変化に対応しにくい上、危険で大変な仕事でもある。

そして、林業が衰退しても森林保護にはなるからまぁいいかというと、まったくそうではない。
原生林は別だが、日本のたいていの森は人が手を入れて植樹をして来た。
木を植えて放っておくと過密状態になり、どの木も太く丈夫な木にはなれない上、葉が重なり合い、地面に光が当たらなくなる。
そうすると低木や草が生えなくなり、地面の植物を食べる動物がすめなくなる。
そうなればもっと大きな動物も当然餌不足になり、行き場がなくなる。
また、地面に多様な植物がないと土をつかんでおく力が弱くなり、土が雨で流出してしまう。
すると森の貯水能力も落ちていってしまい、災害がおきやすくなる。

したがって木は定期的に切ってやる必要がある。
また、現在の森の多くは戦後に植えられた成長の早いスギやヒノキが多く、高木になって暗い森を作りやすい。
今こそ間伐をしてやる時期らしい。



というわけで、間伐のために木を切るところを見学しに森の中へ。
確かに暗い森だった。一部光が当たるところは本当に植物が生い茂っていて、なるほどと納得。

名誉教授のおじいさんは市民環境団体の顧問も勤めている上に、森林作業にも長けているらしく、先ほどの格好に長靴と竹製の籠をしょって自前のノコギリや仕事道具を詰め込んでいる。しかも名前は林。
うーん、かっこいい。

チェーンソーを使って狙った方向へ倒していく。あたりがヒノキの香りに包まれる。
ヘルメットをかぶりタオルを首にまいた格好ではあるが、なかなか贅沢な気分だった。
全長17m、ゆっくりと倒れていく。からまっていた枝が落ちてくる。
思っていたよりも静かに倒れた。これがプロの腕らしい。

倒れた後、枝や丸太をノコギリで切ってみる。コツがわかると切れるスピードが上がる。
ヒノキの表皮をむくのは非常に楽しかった。茶色い無粋な皮はゆで卵の殻のようにつるっとむけて、お店で目にするヒノキの美しい姿が現れる。
皮の下は湿っていて驚いたが、水分含有率が80%だそうで、それもあってめちゃ重い。
確かにこれは重労働だ。昔の人は本当にえらい。
しかもこんなに大変なのに、この木を売ったとしても一万円にもならないらしく、売ろうとするほど赤字になるらしい。
今回の森は保有林だから木を売る必要はないのだけど、、、。

一本切るだけでも光が確実に地面に当たるようになったのを実感。
この場所を今後も定点観測していきたいなーと思った。

ボランティアで来てくれたスタッフの人ともいろいろ話ができたし、実際の現場の仕事を見れたのは本当に有意義だった。
森に愛着がわいたし、ぴもーも森に携わることしたいなーと思った。
森林ボランティアの指導者の教育なんてこともしてるらしく、そういう人たちは実際に間伐する木の選定からチェーンソーを使って切り倒すことも教えてもらえるらしい。
自分の腕で切ってみたい。スカッとしそうだなー!ビールがおいしく飲めそう(笑)

アマゾンでは一年に四国分の面積の森林がなくなっているらしいけど、これは明らかに牧場やコーヒー畑にするための無計画な乱伐。こうしてマックのハンバーガー用の肉や、スタバのコーヒーが作られるんですなー。
だからこういう観点では木は切ってはいけない。アマゾンは原生林だしね。
でも日本については問題はちょっと別なのだ。まずは木ありき。そこから始まり、木を切ること、木を使うこと、そして計画的に植えること。
こういうサイクルが大事なんだなー。

いろいろ難しい問題があることはわかったけど、とりあえずは今後も健全な森林保全について意識を高めておくことを誓って、帰りの車は爆睡。
スタッフの人の熱意に感謝。一日、あっという間でした。

そんなわけで、ぴもーも チーム・マイナス6% に入りましたクローバー

  

August 2006

堀江 敏幸
いつか王子駅で
堀江敏幸という人は2001年に芥川賞も受賞してるみたいだけど、あんまり知られていない(?)ような気がする。
ぴもーの知り合いでも知っているという人を見つけられない。
明治大の助教授様らしい。

読者を惹きつけて離さないような文章ではないけど、とてもいい文章を書いていると思った。
どことなく志賀直哉のような雰囲気も感じる。
小学生のころ、遊んで帰る時にかいだ夕方の匂いのような文章。
でも単に懐かしさや郷愁とも違う、静かな矜持のようなものも感じる。
結構ぐっと来る言葉が多くて何度か読み返した。

作品は東京の荒川近郊の下町が舞台で、特別なストーリーがあるという感じではなく、作者の日記のような雰囲気がある。
東京の地名や昔の名馬の話、さまざまな本の話が出てきたりするので、そのへんの知識があると一層おもしろいだろなー。逆にぴもーは、この本を読んでもっと馬や本や東京に詳しくなりたいと思った。

待つことと待機の違いについて書かれている部分があって、なかなか興味深かった。
待機は次の行動に向けたアイドリング状態であり、待つことはまったく無為な完全な静止状態であるそうな。
来ないものを待つことと必ず来るものを待機すること、どちらが器が大きいかは明白。
さらに、待つことを知っている人は心の「のりしろ」を持っている。
それは、他者や仲間、そして自分のために余白をとっておく気遣いと辛抱強さ。そこに糊をきちんと塗らなければ形が整わない、最後には隠れてしまう部分に対する敬意を忘れてはいけない。
自然にそういうものが身に付いている人にぴもーは憧れる。
ぴもーには間違いなく身に付いていないものだけど、でもこれを書いていることは「のりしろ」といえるのかもしれないなー。

主人公(というのもはばかれるような気がするけど)は、美しい仕事をする職人たちから「普段どおりにしていることがいつのまにか向上につながるような心のありよう」というものの存在を知る。
変わらずにいることが、結果として前向きだったなと、後からわかってくること。自分のリズムで日々の仕事を一生懸命やる。でも一生懸命やったから勝ち負けは関係ないというのとも違う。だからといって何を差し置いても勝たなければならないというのもおこがましい。この矛盾に折り合いをつけるのではなく、矛盾を超えた発想。「逃げではないありのまま」を自問し続ける生き方。

うーん。わかるようなわからないような。。。
言いたいことは伝わるけど、内容的にぴもーごときがわかるって言っちゃいけない気がしてしまう。
生き方に対する考え方がまたひとつ広がった。
とてもいい文章だった。
落語のオチ


先日、友人宅で落語家を招いて寄席(!)をするというので、ぴもーもちゃっかり(タダで!)見せてもらった。
普通の家の和室でやったからすごく接近していて、落語家さんのツバも飛んでくるような距離。
テレビでも見たことはなかったし、今回初めて落語を聴いたのだけど、めちゃおもしろかった♪

落語家は桂まん我(かつらまんが)という、わりと若い人で、しきりに汗を拭ってたのが印象的。
大学の落語研究会(通称おちけん)で落語を始めたのがきっかけらしい。
帰るときは普通にシャツとGパンで帰って行ったし、見た目は普通の人という感じだったけど、いざ落語に入ったら声量と声音の使い分け、テンションの高さに圧倒された。

このときは2席話をしてくれたのだけど、1つは「青菜」。2つめは「桜の宮」
ここでオチを書くのはナンセンスなので控えますが、ほんとよく考えてある。
最後の最後で、あーそういうことか、という感じ。
ぴもーが単純だからかもしれないけど、オチ方にかなり感服してしまった。
自分の記憶のためにいくつかポイントを書いておくと、
青菜・・・植木屋さんと主人、それぞれの妻、植木屋の長屋、隠語。
桜の宮・・・狂言のチャンバラ、六部の遅刻、本物の武士。

それにオチにいくまでも十分楽しくて、素直に笑える。
古い言葉の言い回しがたまにわかんないけど、難しい言葉は解説してくれたりするし、教養にもなる。
声音の使い方ひとつで何人もの登場人物をわかりやすく伝えてくれる技術にも感動を覚えた。
しかもまったく淀みなく、独特のスピード感が気持ちがいい。

落語、なかなか◎です。気分も爽快♪

また見たいなー!同じネタでも。
桂まん我さん、応援しよ♪
HPはこちら↓
http://www.k3.dion.ne.jp/~www920/index.html
July 2006

村山 由佳
天使の卵―エンジェルス・エッグ

この本はあまり読書家でないだろうと思われる友人が珍しく読んでいた本。ぴもーも村山由佳を読んでいたので、そのつながりで貸してもらった。

正直あまり夢中にはなれなかったけど、とても読みやすく、大人になりきっていない世代を懐かしむことができた。たぶんぴもーも主人公の歩太(あゆた)と同じ、19くらいのときに読んだらもっと感慨深かったんじゃないかなぁ。

主人公が恋する春妃(はるひ)があまりにきれいでよくできすぎるし、電車でひとめぼれした人が偶然、自分の父親の医師だったなんてありえん!という思いが先に立ってしまう。さらにその人が自分の彼女の姉だったなんて。

そんなドラマチックな恋に夢見る年齢は過ぎてしまいました。というより、そんな恋愛存在すると思ったことがないな。

でも受験生の焦る感じやどうしようもない不安、早く自分で責任のとれる年齢になりたいという思い、突然何もやる気が起こらなくなったり、小さなきっかけで信じられないくらいの集中力と気力がわいてきたりする、そんな気持ちは、ぴもーの体験ともよくオーバーラップした。恋愛の記憶よりもこういう気持ちの方がずっと切なくてしみじみとしてしまう。

そういう意味では、日本の受験戦争も悪くはないかも。ほんとにいろんな思いを味わったなぁ。もうあんなに勉強することは一生ありません。。。したくないし、できないとも思う。それから、ぴもーのまわりの浪人経験がある人は一年(かそれ以上)余分に苦しんで挫折感を知っている分、人間の奥深さを増してるとも思う。

先に読んだ『翼』や、『星々の舟』の方が渋くてぴもーは好きだけど、村山由佳の初期の作品を知ることができてよかった。「あぁこの人は確実に年を重ねて素敵になっているんだな」と感じた。同じ作家の本をいくつも読んだことがなかったけど、同じ作家の作品の変容をたどっていくってのもおもしろいなぁと思った。・・・そんなエラそうなことを思ったりして(笑)

ぴもーのこのブログも年月を経て成長が見られるのでしょうかねぇ。
June 2006

村山 由佳
星々の舟
この本も先輩に借りた本。直木賞受賞というお触書がついていた。『翼』を読んだ時には知らなかったけど、村山由佳って結構有名なんだなぁ。

これはある家族の話で、それぞれの視点からいろんな思いが書かれている。何よりも深い絆で結ばれるであろう家族にも、いろんな秘密や誤解や気遣いがあふれていて、「家族って大切だけどとても苦しい」ということを改めて文章にされた感じ。小説としておもしろくするために(?)いろいろ尋常でない事件があるんだけど、でも個々の登場人物が考えてることってのはほんとにどれも共感できる。いや、もしかしたら事件でさえも実は身近にあるのかなぁ。ぴもーの家族にもこんな秘密あるんかなぁ。。。まぁ秘密は秘密である限り存在しないからいいんだけども。

一番ショッキングな事件としては、やはり次男と長女(父親の再婚相手の連れ子)は血のつながりがないと思って両親には秘密でに恋愛関係にいたのに、実は父親が母親と死別する前から再婚相手と関係があり、長女を生ませていた(つまり母親は違うが父親が同じ)ということが発覚するという事件。でもぴもーはこの次男と長女の恋愛感情だけはどうしても理解できない。もちろん十代の時にそういう感情を持っていたというのは起こりえるし、血のつながりがわかって一悶着あるというのはわかるけど、お互いがその後もずっとお互いのことを思い続けるなんてことがあるのかなぁ。この事件があって次男の方が家を出たっきり、その後結婚して子供ももうけてるのに、15年間も会わない相手のことを思い続ける??長女の方ももの静かに家の仕事を手伝って幼馴染に求婚もされているのに、どうしても次男への熱い気持ちから結婚する気になれないでいる。ぴもーには、実らない恋愛というものがお互いの気持ちを大げさにしてしまっているような気がしてならない。恋愛ってもっとドロドロしててかっこ悪くて、利己的なもんだと思う。

この恋愛を軸に書いてあるところがやや好きではないが、家族のそれぞれの立場から書いてある構成は非常におもしろい。特に長男や父親の章は渋いなぁと思った。

父親の章は戦争体験を中心に書かれているけど、戦争が単に悲しいつらい記憶として書かれているのではなく、戦争・軍隊が人を変えるという意味あいが強い、吐き気を感じるような不気味さを感じた。若い(もしくは幼い)従軍慰安婦、公然と許される殺人、遺骨を持ち帰るために死んだ僚友の腕だけを切って持ち帰る。戦争体験(という言い方もよくないのかもしれないが)を口にしたがらない人たちの気持ちもなんとなくわかったような気がした。

長男は家に帰りたくないサラリーマンとして描かれていて、自分の居場所を求めて畑仕事に惹かれていくという気持ちはぴもーもなんだかわかる。自分が建てた家なのに、自分の家族がいるのに、帰りたくない。ぴもーは自分で家を建てたことも自分の(扶養する)家族をもったこともないけど、自分の居場所ってもんはそういうのでは決まらないのはわかる気がする。ぴもーも居場所がほしいという気持ちはとても強い。もし結婚して家を持つことがあっても必ず自分の部屋がほしい。自分の部屋は家事室なんてダサいもんじゃなくて、一番日当りのいい、ゆったりとした時間が流れる場所で、誰にも邪魔されない場所でなければいけない。でもそんなのはきっと難しいので、やっぱり畑ってのはいい解かもしれない。今のぴもーの居場所は、ランニングしているときの道路かもしれない。走るという行為も好きだけど、道というものも走っているときには自分だけのもので、いろんな思案をめぐらすことが許されている場所で、とても好きだ。単に道そのものや行き交う人を眺めるということも楽しい。

それから、最後の方で「きっと許してくれないだろうから謝れない」と言った長男の娘に対して、「許されようと思って謝るのは謝罪ではない」と言った父親の言葉が頭に残った。ぴもーはそんな風に思ったことがなかった。謝るというのはすべて許してもらうために言う言葉だと思っていた。謝って許してもらえばそれで自分の罪は消える。それを期待することはすでに謝罪ではない。「許してもらえなくても、ずっと苦しい罪悪感を感じ続けなければならなくても、それでも謝りたい」と考えられる人間になりたいなぁ。

『星々の舟』は、村山由佳が単なる恋愛作家ではないんだなと強く感じた作品だった。でもこの人のつけるタイトルって俗っぽくて、ぴもー的にはあまり好きではないんだなぁ。。。