April 2008

絵が「ふるえるほど好き」になる―MAYA MAXXのロシアの名画と旅ガイド/MAYA MAXX
¥1,000
Amazon.co.jp

図書館でなんとなく手にとった本。MAYA MAXXは気になっていたので、薄かったし絵が多かったので気軽に借りてみることに。MAYA MAXXの作品は、8年くらい前に雑貨屋さんで見かけたポストカードが最初の出会い。すごく斬新だけど優しさがあって、それに色使いがすごくきれいだった。今でもそのカードは持っている。

その後、たまにMAYA MAXXの名前は見かけたりはしてたけど、男なのか女なのかも知らない。なので、そもそもMAYA MAXXって何者?っていうのも知りたかったし、絵がふるえるほど好きになるって???という思いがあった。絵を見るのは好きだけど、ふるえるほど好きって感覚はわかんないよなぁ。

MAYA MAXXいわく、「絵はまっていてくれる」らしい。たぶん絵に限らないけど、何かが自分を待っていてくれるという考えは素敵だなぁ。待っていてくれるならぜひ会いにいかなきゃ。そういう意味では、絵は会いに行くべきものであって、なにも所有しなくてもいいのかもしれない。やはり恋人は離れているからいいのかも(笑)

そして、「絵を見ているようで実は絵を見ているわけではない」。絵と向き合う時間というのは正に一対一の時間。静かにじっと見ているとき、実は絵の向こうに個人的なものを重ねているわけで、確かに、その絵を見ているわけではないのかも。そんな状態に入れることって少ないけど、そういう風にみつめてみたい。

ぴもーの好きな画家は・・・ホアン・ミロ、クロード・モネ、アンドリュー・ワイエス、いわさきちひろ、MAYA MAXXかなぁ。あんまり通でもないので有名な人ばかりだが。モネだけは生の絵を見たことがあって、すごく巨大で今にも花や池や木々の香りが漂ってきそうな睡蓮の絵を覚えている。できれば寝転がって鑑賞したがったな。ほかの絵にも会いに行かねば。生きているうちに全部会えるかなぁ?

それから、MAYA MAXXという人について。「お金がなくてもなににも困っていないと思うことが必要」「生きることについて王様」と語るこの人が素敵だなぁと思った。カチコチの理性というか理屈で生きなければいけない環境にあるぴもーにとっては、この人の語る言葉や行動はあまりに自らの感性によりすぎている感はあるけど、芸術家たるもの、そうでなければ。
凡人も時々はこういう「まじめな」人生観に立ち戻らねば。too pragmaticな生き方に慣れてはいけない。

ぴもーが見た8年くらい前のMAYA MAXXの作風と今の作風はだいぶ変化しているみたい。でもこの本の中で紹介されているMAYA MAXXの絵もとてもよかった。



March 2008

インドでわしも考えた (集英社文庫)/椎名 誠
¥600
Amazon.co.jp

古本屋で100円で購入。昨年、インドに旅行に行ったこともあったし、椎名誠という名前は聞くけど著書を読んだ事がなかったので読んでみることにした。

椎名氏はインドに行くに当たって何の下調べもなしに行って、そこで見たものや聞いたものを実に率直に書いている。ガイドブックには必ず載っているだろう「リキシャー(インドでは大変お世話になるバイクタクシー)」の語源についても知らないようだから、下調べなしというのはほんとのことだろう。
インドは「何度も行きたい!」という人と「二度と行きたくない!」という人の差が激しいというのを聞いていたから、なんだかよくわからんが特殊な文化を持った国のようだ、という警戒心があり、ぴもーの場合は行く前にガイドブックは一冊読破していた。
でも行ってみて、多少の知識で「そうかそうか」などと納得できるような生半可な文化ではないという気はした。
より安全に旅行するために多少の知識は必要だとは思うが、それは単なるノウハウでしかなく、見るもの聞くものすべてが、本から想像しえたものよりもアグレッシブで強烈な世界だった。
自分の思い出と照らしながら、「そうそう!」と共感したり、「そんなシーンには出くわさなかったなぁ」などと思い出しながら楽しく読めた。

まずは椎名氏の独特の文章にちょっとびっくりした。
インドについて書いてあるからではないのだろうけど、この人、インドに合ってそうだなーと感じた。
たとえば、一つ前の記事に書いた堀江氏などはインドには間違いなく合ってないという気がする。。。

「むははははと猛烈に笑っているような太陽の凶暴な暑さ」などの表現がすごい。
ぴもーがインドに行ったときは冬で、しかも北の方しか行かなかったので、半袖では寒い気候だった。
でも夏のインドはきっとこういう感じだろうというのはよくわかる。
白く柔らかく温かくてもっちりしているナンを「色っぽい」と表現しているのにも感心。そういわれればまさに(笑)

それに、「インド人は毎日カレーを食べているのだろうか?」という誰もが持つ疑問に見事に答えてる。
そう、インド人は確かに誰もがカレーを食べてる。でも日本でのカレーよりももっといろんな名前と種類があって、ナンと食べたり、別のパンのようなものにつけたり、実に多彩なバリエーションがある。
「日本での味噌汁と同じようなもん」という椎名氏のたとえが正しいかも。
でも味噌汁よりももっと主張があって、栄養価もたっぷりあるしなー。。。やはり日本人の感覚では捉えきれない。

「騒然としたニンゲンエネルギーに満ちている」という表現もまったくその通りだと思う。
インドの街はたくさんの人、車、牛で埋め尽くされている。
想像を絶する騒音、クラクション、人の声・・・。そんなものにクラクラしない日本人はいないだろう。
路上で生活するたくさんの貧困層の人たちは、実にエネルギッシュで、人間とはこんなに強いんだなぁということを知らせてくれる。
乞食たちも恵みを要求する表情こそ哀れだが、一度ものやお金をもらうと実にうれしそうに離れていく。
観光客を見ればすぐに寄って来ていろいろまとわりついてくる人たちもパワフルでよくわからない迫力に負けそうになる。
インドに行くと、現代日本人とはなんて軟弱な人種だろうと思う。

ガンジス川をゆるやかな大奔流と述べているのも、なるほどという感じがする。
何千万という遺体や骨を飲み込んできた川
インド人の99.9%が死ぬときに記念品を遺さないらしい。
確かにこんな川に流されるならそんなつまらないものはいらないと思える。

ヒンドゥの神というのは実に多様で、体が青やピンクの変な顔の変な格好をした人だったり、像や亀や得たいの知れない生物のようなものだったりする。
そういったものを熱心に拝むことは到底理解できないが、信じるものがあるのはすてきなことだ。
ヒンドゥの神々を信じ、本を読んで何やら唱えているような人たちはほんとは乞食かもしれないけど、聖人のように見える、と。そうかも。うんうん。

次にインドに行くなら夏の南部の方に行こう。凶暴な暑さを体験してみたい。
そしてガンジス川を舟から見よう。カレーをたくさん食べたい。変な神様たちにももっと会いたい。
あのニンゲンエネルギーにもまた圧倒されたいなぁ。

February 2008

雪沼とその周辺/堀江 敏幸
¥1,470
Amazon.co.jp

堀江敏幸を読むのは2回目。前作に続き、しっとりした優しく温かい文章がとてもいい。
雪沼に住む人たちのちょっとしたエピソードの短編集。
普通の人の普通の生活を丁寧に書いている。
こういう風に、普通のこと、小さなことにちゃんと気づいて、それを大切に生きられたらいいなぁと思う。
作者は明治大学の教授もしているようだが、どういう人なのか会ってみたい。
こういう作品を書ける人というのは、どういう時間の中で生きて、どんな風に話すのだろう。
作品を読んでその作家に会いたいなと思うのはこの本が初めてかもしれない。

自分の生き方・・・というほど大げさではなく、暮らし方というべきか、時間のすごし方について考えてしまう。
単純であること、透明であること、明快であること、そういうことがすごく大事なんだなぁ。
それは、効率がいいこととは違う。
効率のよさのために単純であるべきではなくて、自分の頭できちんと考えた明快なものを素直に貫くことが大切。
結果的にそういう単純さは効率的ではないかもしれない。
でも「分解して組み立てられる、単純で融通のきく構造」ではある。
こういう構造が、機械だけでなく人間関係にもあれば、その修理に困ることはない。

自分を振り返ると?
迷路。修復できない構造を自分で構築している。
何が問題なのかももはやわからない。
不恰好でも一貫した考えの下に築き上げたものであればそんなことはないんだろうな。

「分解して組み立てられる、単純で融通のきく構造」
そういう構造を、自分の暮らしの中で自然に作れるようになりたい。

January 2008

戦争―WAR DNA/Q.サカマキ
¥3,150
Amazon.co.jp
(↑該当の本がアマゾンになかったので、同じ著者の本を貼ってみました)


古本屋で買った。最近新聞でこの人の別の本が紹介されていて、名前を覚えていたので。ピューリツァー賞を受賞した人らしい。

中東アジアにはあまり興味はなくて、単に「治安が悪い」「イスラム社会」「石油マネーがある」「戦争が多い」くらいのイメージしかなかった。でも職場にレバノンに行ったことがある人がいたり、友人がイスラエル人と仕事をしているという話を聞いたり、最近わりと中東世界の話を聞くことがあったので、多少興味がふくらんでいた。世界史を全然知らないので恥ずかしいという思いもあり、写真も入っていたし、ショッキングなタイトルにも惹かれて読んでみようと思った。

結果、読んでよかった。自分の無知を知って、ほんとに恥ずかしい思い。

イスラエルという国がどういう経緯でできたか、イスラエル国民とはどういうバックグラウンドを持っている人たちなのか、パレスチナとはどんな土地なのか、パレスチナ人とは何者をいうのか、イスラエル周辺のアラブ諸国との関係、欧米の大国との関係、石油の利権、ホロコーストの禍根、イスラム教とユダヤ教、それぞれの国の英雄、難民の生活、国連の役割・・・。

自爆テロのニュースもだいぶ聞きなれてしまって、その意味を軽んじてしまっていた。自分の死を持って破壊攻撃をするってどういうことだろうということを改めて考える機会になった。自爆テロは旧日本軍の神風特攻隊などとはまったく意味が違う。誰に強制されるでもなく、同胞の中では賛美されているのかもしれないが、でも個人の意思で行っていることだし、攻撃のためだけでなく、抗議行動という意味もかなり強い。そして若い女の子でも自爆テロを考えることがあるということ。なんて世界だろう。体に銃痕があっても誰も驚かない。残酷な拷問を経験したことのある人も数多い。それはイスラエル人もパレスチナ人も同じ。一度争いがおこったら人間はどこまでも残虐になれる。

まさにスパイラルに陥っている。ユダヤ人とパレスチナ人はなぜ憎み合うのか。歴史の禍根、大国の思惑、宗教の違い、土地そのものに関する思い入れ・・・。日本人のように、国土を追われたこともなく、異宗教の軋轢を経験したこともなく、まわりを海という防護壁で囲まれた歴史の浅い民族にはなかなか理解しがたいものがあるのかもしれない。人々がなぜパレスチナの土地にこだわるのか。

紛争の解決策は何も浮かばないけど、まずは知ること。そしてほっとけないという気持ちを持つこと。それを忘れないこと。それ以外にぴもーに何ができるんだろう。この著者は危険を冒して写真を撮りながら、何とか現状を変えるための活動を行っている。それでも無力感を感じてる。誰も解決策を見出せないでいる。でも目をそむけないこと。それだけが解決のための初めの、そしてずっと忘れてはならない一歩。

物理学者の宇宙観から


2008年1月号の日経サイエンスを読んで(ほぼ引用)。

素粒子物理学でノーベル賞を受賞したワインバーグは「宇宙のことを知れば知るほど、自分自身がむなしい存在だとわかる」と言っている。
逆に、東大の宇宙論専門の教授である佐藤勝彦氏はこう言っている。「宇宙のことを知れば知るほど、ありがたいことだと感じる。この地球は豊かな生命、そして知的生命体である人間が生まれる条件がそろった、かけがえのない存在だ。」

一方で、イギリスを代表する天文学者であるリースは「今世紀で人類は終わる?」という本を最近出したそうだ。
反対に、アメリカのダイソンという物理学者は非常に楽観的な考えで、「人類はあと1000年くらいで太陽系に広がっていくき、10万年のオーダーで銀河系宇宙へ。そして1000万年で銀河団の宇宙へ。」ということを言っているらしい。

上記の重要な2つのテーマに対して、それぞれ反対向きのことを、同じような高度な科学知識を持つ物理学者たちが言っているということがおもしろい。
宇宙はかなり多くのことがわかってきているけど、ひとつなぞが解けるたびに、より大きな命題を与えてきているかのよう。

フェルミのパラドックスといわれる話があって、「人類が宇宙人に出会わないのは、宇宙に知的生命体が生まれても必ず自滅するからだ」・・・。

非常に大雑把な試算によると、宇宙の中で、地球型の長期安定性を持つ恒星は0.01%と考えられている。天の川銀河には1000億の恒星があるから、その0.01%は1000万個。かなり普遍的に存在しているので、そろそろ宇宙人が現れてもいいように思われる。

逆に、これまで人類が宇宙人と出会っていないことから、電波で通信できるような文明を持つ知的生命体は約1000年くらいで自滅すると考えることもできる。宇宙の年齢は約100億年だから、天の川銀河に知的生命体が同時に存在する確率は、1000万に100億分の1000をかけなければいけない。すると・・・答えは1。つまり天の川銀河では、現在、地球にしか知的生命体は存在しないことになる。

この計算が成り立たないように、少なくとも我々は1000年以上、この文明を守り、自滅の道に進まないように発展を続けたいものだ。そのためには自分の住処である地球の環境をなんとかしないと。

そういうわけで、宇宙人に出会いたい奴はエコに励めよ!