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夢の彼方に

折に触れて鑑賞している様々なライブやアート、スイーツについて
綴っています。

「オッペンハイマー」を鑑賞しました。

アメリカではとうに公開済みであったが、ユニバーサル・ピクチャーズ作品を配給している東宝東和が日和っていたため公開さえ危ぶまれた。漸くビターズ・エンドが配給を決め、公開前にアカデミー賞7部門を受賞。国内では公開が決まるかなり前から、広島や長崎の被害が描写されていないことを理由に本作を批判する声が上がっていたと認識しているが、本作品は「原爆映画」ではなく、あくまでもオッペンハイマーの半生を描いた「伝記映画」であり、それらの指摘は全くの的外れである。

 

第2次世界大戦中、物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府の「マンハッタン計画」において、開発プロジェクトのリーダーに任命される。ユダヤ人である彼は、原爆をナチスや敵国よりも早く開発することが重要だと、誰よりも強く感じていた。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けた。戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになり、原子力委員会議長のストローズと対立を深めて聴聞会が開かれ、オッペンハイマーはキャリアを追われてしまう・・・。

 

本作品は、クリストファー・ノーラン監督特有の分かりづらい作品構造となっており、カラー映像とモノクロ映像の2つの映像パートがある。カラーがオッペンハイマーの視点で、モノクロがストローズの視点。また時系列が頻繁に変化するので迷子になりそうになるが、モノクロ映像は戦後を描いていると認識すれば混乱を回避できるでしょう。そう、本作品のストーリーの大部分はオッペンハイマーとストローズの対立を描いているのです。それも、池の畔でオッペンハイマーとアインシュタインが会話を交わした際、ストローズが近づくとアインシュタインが目も合わせず立ち去ったことで、オッペンハイマーがストローズを批判していたのでは?と疑ったことが原因という驚くべきシーンです。この件を恨みにストローズはオッペンハイマーを「赤狩り」の対象者として聴聞会を開き、彼を失脚させた。しかし、モノクロ映像でのストローズが商務長官として相応しいかを判断する公聴会では、オッペンハイマーを危険視した理由に関して厳しい質問が集まり、投票の結果、反対票が僅差で上回った。そのうちの一票がマサチューセッツ州上院議員のジョン・F・ケネディだった。

全く知らなかった事実も沢山明かされ、マンハッタン計画の初期に、原爆の極めて強力なエネルギーにより大気が引火し、地球上の全ての空気が燃えてしまうという意見があった。計算を重ねた結果、「大気引火が発生する確率は非常に低い」というものだった⁉ これにオッペンハイマーは悩み続けた。「非常に低い」だけであり、「ゼロではない」からだが、実験のスイッチを押す者の緊張は計り知れなかったことだろう。

これから鑑賞される方は相当な予備知識を持って映画館へ向かわれることをお勧めします。そして、池の畔でオッペンハイマーとアインシュタインが交わした会話の中身を、我々は真摯に受け止める必要があるでしょう。

 

 

 

今夜は、ジャコモ・プッチーニ没後100年・オペラショウ「ラ・ボエーム」を鑑賞しました。

イタリアオペラを代表するG・プッチーニは本作品の他、「マノン・レスコー」や「トゥーランドット」など多くの傑作を残し、それらは今も世界中で上演され続けている。


舞台は1830年から40年代のパリ。若きセザンヌやルノワールはまだ無名であるが、リストやショパンの演奏が絶大な人気を誇っていた頃。

貧乏で家賃も払えず、日々の生活に苦しみながらも仲間たちと夢や愛を語らう若い芸術家たちの生き様がテーマ。


観客席に出演者たちが現れ、歩き回るという斬新な演出に驚かされ、ライブ演奏とライティングの見事さ、そして何より出演者たちの歌声が、今も耳に残っている。



春の嵐が吹いた「春分の日」

 

今日は深川江戸資料館・小劇場にて、玉川太福独演会「太福の威風堂々」を鑑賞しました。

 

小劇場にエルガーの「威風堂々」が流れ、客席がざわつく。

 

かつて大衆芸能の頂点に君臨していた浪曲。

 

時代の急激な変化により、一部のコアなファンに支えられていた浪曲だが、夭逝した天才浪曲師・国本武春以来の逸材である玉川太福の出現により、ブームを超える盛り上がりを感じる。

 

浪曲は、浪曲師と三味線を弾く曲師の二人で創り上げる、世界最小のオペラである。

 

「太福の威風堂々vol.2」は、仲秋の9月16日です。