おとといナイトダイブに行ったのですが、風が強すぎて入らなかった。1時間かけて行ったのに。
ここで、もったいない症候群が出てしまうと、遠くまで来たんだからちょっと無理してでも入ろうってなってしまう。実際、その理由で海に入って行った人もいました。
 

もしお客さんをガイドする仕事だったり、日本から飛行機に乗って来たお客さんが一緒だったりしたら、「今日はやめましょう」というのも、荒れてるのに入りましょうと言うのも、NoでもYesでもどちらに転んでも決断には勇気がいる。

 

選挙戦が始まっているようですが、日本人は頼まれて義理で投票する人もいるけど、世界中見ても義理で投票するなんて日本人だけじゃないだろうか。誰に投票するのも個人の自由ですが、パイロットという自分の経験から、自分の信条をしっかり持ってないと、簡単に他人軸で操作されて自分が崩れます。

 

乗客のホリデーが短くなる。VIP客がミーティングに遅れる。早く仕事終わらせて帰りたい。ここで引き返したらまた戻ってくる事になって残業になる。などの感情を取り除き、ただ安全第一で仕事をする。これぐらいなら大丈夫かなとか、少しでも疑問に思うことは、少しも譲歩しない。ただ、経験を積むと言う事において、間違った判断をしてもすぐに回避できるような状況であれば、どんどんチャレンジすればいい。でもミスが許されない状況では、迷ったら安全な選択肢を取らなくてはいけないのは言うまでもない。自動車の燃費偽装や原発の安全審査の過少評価など、これを絶対に達成しろと言う上からの圧力があったとしか考えられない。「どんなに頑張っても目標に達しませんでした」と報告を受けて、改善策を考えて不可能を可能にするのが上の人の仕事で、抑えつけて偽装してでも結果を出せという環境を作る人はクビで良いと思う。自分の場合は、上からの圧力で、休日にお酒を飲んでしまったのに上司が責任を取るから出勤しろと言われたとしても、運行している間は全責任が自分にあるわけで、免許を失うのは上司でも社長でもなく自分です。

 

空港に強い雨が降っている時に上空待機の選択をしたら、副操縦士が言いました。「ただの雨だよ。大丈夫でしょ」

 

「よくみてごらん。土埃巻き上げてるでしょ」ただの雨ではなく、下向きに噴き出すダウンバーストの可能性。

 

積乱雲は通常は1時間程度で力を失いますが、ひとつ去ったと思ったら新しいのが移動してきて、他の空港に降りて給油して、ストームが完全に去った事を確認してから再出発。

 

ダイビングのヘルパーの仕事で(まだ見習いなので水上のヘルプだけ)、お客さんが海に入ってすぐに怖くなってしまって、ご自分でキャンセルされました。その後ボートで「どうしたら恐怖心なくなりますかね」と聞かれたので、「恐怖心はあって良いと思います」と言いました。ここで、カッコ悪く思われたくないとか、初心者のように思われたくないとか、余計な感情が入ってしまって、怖いのに無理して潜って水中でパニックになる方がもっと大変。このお客さんは、自分の感覚に素直に答えて、正しい判断をされました。

 

映画のEverest(邦画のエヴェレストではなく、洋画の方)に、状況を見て判断する難しさや、他人に押されて限界を超えてしまう恐ろしさが凝縮されてます。

 

今回は海に入らずに帰る事になったけど、ダイブマスターを目指す上で、水中だけの技量を磨くだけではなく、入る前からコンディションを見てどうするか判断をすると言う、とても良い経験になった。

 

急がず焦らず参ろうか(おじゃる丸)

もう空は行けるとこまで行ったので、今度は海の方へ行ってみる事にしました。

 

ワーホリ(ワーキングホリデー)の時、周りのみんながダイビングの話で盛り上がってる中、自分はお金がなくてできなかった。当時は3万ぐらいでできたと思うんだけど、とにかく生活が苦しかったので、遊びに使えるお金はなかった。

 

去年(2025年)の4月母島の友達に会いに行った時に、27時間もかけて遠くまで行くならダイビングしようと思って、49歳になって取ったライセンス。母島は難易度高そうなので、もう少し上級者のAOWを取ってから行った母島が、講習後初めてのファンダイブ。帰国してビーチダイブを楽しみながら、次のレスキューダイバーの資格を取って、どうせなら行けるとこまで行きたい。でも最初から上の方を目指してるわけでもなく、ひとつずつクリアしていこう。ただ、次のステップは最初のプロ資格、ダイブマスター。いきなりハードルが高い。

 

仕事にしたいわけでもなく、プロと言う資格の肩書きが欲しいわけでもない。伊豆で潜ろうと思ったら、経験が足りずに潜れないところが多かったので、どこでも潜れるような経験と自信を付けたいと言うのが一番の目的。とにかく楽しみたい。石垣へ行った時も、みなさんそれぞれ。写真とかまったく興味なく、ただ無重力感を楽しむ人や、自分の周りの音しか聞こえない静かな空間を楽しむ人とか。

 

ダイビングを始めて気づいたのは、今までこんなに近くに住んでいたのに見た事なかった新しい景色。今まで行ったことのあるビーチで、人生で初めて見るタツノオトシゴやシードラゴン。沈船、沈飛行機。

 

ダイビングをやらなかったら入らない、夜の海

 

いたるところにある洞窟


 考えてみたら地球の7割は海なんだから、海に潜らないと地球の7割にも出会えないと言う事に気付いた。地上の3割もまだまだ見るところ沢山あるけど、すぐそこにある海の中に今まで知らなかった景色がある。庭を掘ったら宝が出てきたような感覚で面白い。

 

と言う事で、50歳になってダイブマスター目指して進んでいますが、たぶん一番の難関は水泳テスト。400メートル水泳、スノーケリングで800メートル、立ち泳ぎ15分、人を引っ張って100メートル。立ち泳ぎ15分以外は、体力使わずにゆっくり泳げば問題ないだろうと思ったら、、、タイムによって点数が変わるシステムだった。これは年齢的に体力勝負では負けるので、YouTubeを見てフォームを整える勉強して最小エネルギーで進めるように特訓です。この歳になって水泳の練習をする事になるとは思ってなかった。頑張ろう。

 

とりあえず、40ダイブやらないと訓練を始められないので(まだ33ダイブ)、ダイビングの本数を貯めながら水泳特訓。

 

 

宗教の話が出ますが、人の信仰を否定する意図はまったくありません。仏教徒の友達もモスリムの友達も、聖書勉強の団体で中学から仲良くしている友達もいるし、政治と関わりのある団体で仲良くしている友達もいます。他人の信仰を否定するような話ではありません。否定しているように取れるかもしれませんが、自分自身にとってはそれはどうなのかなということであって、それを信仰する人に、それは辞めたほうが良いよと、その人の考えを否定するものではありません。

 

自分は洗礼を受けて肩書きはクリスチャンではあるけど、仏教の教えも取り入れるし、神社にも行くし、ひとつの宗教の考えに縛られるつもりはない。ひとつの考えに縛られると視野が狭くなる。

 

小学生の息子の同級生家族が、ある宗教入り、教室でみんなに、「今年からクリスマスはやりません」と宣言した。人に迷惑をかけていないのであれば何を信じようと自由だけど、小学生の子供は納得できたのだろうか。親に言いくるめられただけなんじゃないだろうか。自分は聖書を読まされた事はあるものの、自ら読んだ事はない。だって、言葉遣いが難しくて内容が理解できない。

 

本当に聖書を学ぶなら、日本語や英語に訳されたものではなくて、翻訳される前のオリジナル聖書を読むべきで、翻訳されている時点で解釈の仕方も違ってると思う。その理由から、イスラム教のコーランは翻訳してはいけないらしい。翻訳が正しくても、現代の言葉でなければ、まったく理解不能。

 

天にましますわれらの父よ、(ましますって何?)

願わくは、み名の尊まれんことを、(ねがわく?とうとまれること?とうとまれないこと?)

み国の来たらんことを、(みくにがくる?)

み旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。(みむねのてん?)

 

まったく意味がわからないお祈りを暗記して呪文のように念じてました。日本語でも神には伝わると言う解釈だろうけど、意味わからないから気持ちも入らない。

 

誰か現代語でミサをやる神父がいたら、楽しくて教会に通う人も増えるだろうに。ウーピーの映画、「天使にラブソングを」みたいなノリで。

 

小さい頃、土曜日に教会へ行くのは嫌だったけど、クリスマスはイブの夜から夜中の24時に、クリスマスに日が変わるまで聖歌を歌って、そのあと教会の庭でみんなでワイワイ騒いで、コーンスープ飲んで、姉妹会からワッフルもらって、夜のお祭りみたいで楽しかった。

 

人間本位の考えとして、動物が死にかけの時に安楽死させて苦しみから解放させてあげるけど、動物は苦しいから早く死にたいと思うのか。どんなに苦しくても生き続けたいと思ってるのではないかと思うのは自分だけだろうか。もちろん、苦しんでる姿を見ているのは心苦しいし、自分のペットにもそうするしかなかった。でも、苦しんでるから手伝ってあげようというのは、人間本位の考えなのではないかなという個人的な思いはある。逆に延命では、自分で生き続けたいと思うなら別だけど、もっと長く生き続けて欲しいと言う、周りの人の願いで生かされている人もいるだろうし。映画「私の中のあなた」みたいに、難しい場合が多いけど、できるかぎり主役の想いが反映されて欲しい。

 

その宗教に入った子に対して、子供達は宗教がどうとか関係なしに、普通に今まで通り接している。「なんでクリスマスやらないんだろうね」と息子に聞いてみても「そんなの知らないよ。それを選んだからだよ」とクールな小学生。「好きなようにやればいいじゃん」って言う感じで、小さいながらもちゃんと友達の事情を尊重している。ちょっと見習いたい。

 

何が言いたいのかと言うと、大人の多くは、他人のどうでも良い事にも干渉したり、自分の意見を正当化したがったりするけど、人に迷惑がかからないなら好きなように生きたらいい。

 

宗教の勧誘が来て嫌だったら、興味ないって言えばいいだけ。自分の信条と違うなら断れば良いだけ。ただ、洗脳と募金は気をつけよう。大金払って報われるような宗教なんて、ビジネス以外の何者でもない。

 

それではみなさん🎄メリークリスマス🎄(これ一言で、みんな楽しく幸せな日を。家族や友人を大切にと言うメッセージ)家族も友達もいない人でも、クリスチャンでなくても教会行ったらみんな受け入れてくれるでしょう。

 

仏教の方では、「すべてのことはどうでも良い」

諦めろとか言う意味ではなく、昨日は戻ってこないし明日はどうなるか分からないから、今を生きろと言うメッセージ。

ある日ある場所であの時間に起こる偶然と呼ばれる現象は、本当にただの偶然の出来事なのか。

今まであった偶然な出来事をあげてみた。

高校生の時、真冬の九十九里で、まだ森君がいるころのスマップの真横をすれ違う。(後で友達に言われるまで気づかなかった)九十九里でなくとも、芸能人を見かけるのは誰でもありえる。

ワーホリで出会った友達と別れる時に、今度はココで会うかもなと軽く言ったら、本当にそこら辺で再会。住んでる街を訪れたから、ありえる。

365分の一の確率で人の誕生日を言い当てる。一回だけ。宝くじより全然確率高いからありえる。

まだ副操縦士だったころ、機長が星座占いを見てて、「何座なの?」って聞いてきた。「〇〇座だよ」って言ったら、「一緒だ!誕生日いつ?」まさかの同じ誕生日だった。365分の一だから、滅多にないけどありえる。

カジノのルーレットで、次この数字来るよって直感で言ったら、本当に来た。自分は友達がやってるのを見るだけでお金は賭ない。そして友達は言うこと聞かずにその番号にかけない。「この番号来るって言ったじゃん!」続けて「次、この番号来るよ」って遊び感覚で言ったらまた来た。「だから、言ってんのに、なんでそこに置かないのよ!」でも欲が出ると(自分から探し当てようとすると)当たらない。ただ気付いたら心の中にあったものが自然に言葉に現れたぐらいの気持ちで。でもルーレットは36分の一の確率だから、まぐれが2回続いてもおかしくない。


レイキを遠隔で送ってもらう度にオーロラが現れる。(最初は本物のオーロラオーストラリスだけど、2回目はテレビのスクリーンセーバーだったから、ありえる)

友達の彼女の命日に、友達にばったり遭遇。ふたりとも普段は行かないショッピングセンターで、人混みから離れた駐車場への入り口を曲がったところで。(これは、たまにはキャッチアップしなさいよと言う、あの世からのメッセージ)

子供のサッカーで、ミニゴールを倒して閉じちゃう女の子。ゴールに入れることができない完全防御。面白い発想だな。自分が後ろでボール持って教えていると、振り向いてボールをあっちの方へ蹴っ飛ばされてしまった。何か気に障りましたでしょうか😅面白い子だなと思ってたら、同じ会社の女性機長の娘だった。(まあ、ありえる)

日本人が殆ど乗ってない飛行機の隣席が日本人(ありえる)

父のいとこが、同じ街(オーストラリア)の大学で教員をやっていた事が数年前にわかった。(珍しいけど、家族だから、引き寄せ合うのはありえる)

引っ越したアパートの隣が日本人
(あまりないけど、ありえる)

寒いからって入ったディズニーランドのシンデレラ城で、オーストラリアで仲良くしてる日本人家族とばったり遭遇。一時帰国してるのも知らなかったし、関東の人でもない。(寒い時にはみんな室内に行くから、あまりないことだけど、ありえる)

Facebookを解約してから、ずっと繋がってた友達と連絡が途切れ(会うべき人にはまた会えると思ってたので連絡先取っておかずに全部消去した)最後に住んでいたところはフィリピン。ある日、日本食材店で買い物してたら、見たことある人に出くわした。ふたりとも少し間をおいてから、「〇〇くん!?」「なんでここにいるの!?」(向こうは、こっちがどこに住んでるか知ってたから、向こうからしてみれば、ありえる)

離島に旅行へ行った。島民は家の鍵もかけず、車の鍵も置きっぱなし。会ったばかりの観光客に、家族の話しをしてきたり写真見せてくれたり、尋ね事しただけなのに自己紹介してきたり、平和すぎる。最終日、何度も会った女性が空港へお母さんを見送りに来てた。「また島に遊びに来てね」って言われてさよならして、出発ロビーに入った後に、空港職員が自分に気づいて、「あれ、パイロットだよ」と言ったみたい。ガラスの壁に遮られて声は聞こえないけど、ガラスの向こうで騒ぎ出した。携帯に文字を打って会話のやり取り。「あなた、あの飛行機のパイロットなの?私の息子知ってる?」フライトアテンダントのお母さんだった。偶然と言えば偶然だけど小さい島なのでありえない事でもない。数週間後に仕事でその島へ行くと、メッセージが来て、「友達(乗客)に差し入れ持たせたから」と、エビバーガーが届いた。まるでもう家族のよう。

すべて偶然なのかなあ。動物が水の在り処に辿り着く事ができるような、原始時代にはみんな持っていたような、もともとある感覚なのではないのかとも思う、自分の中での想像ゲーム。人は脳みそで説明のつく形だけにはめたがるけど、Chat GPTとかAIとかで、脳も含めて使わなくなった人間の感覚がどんどん鈍っているだけで、脳みそでは説明のつかない現象ってどこにでもあるのかもしれないと思って楽しむ。あの世から誰かが仕組んでたりしてても、どちらにしても面白い。

他人やメディアに惑わされることなく、その空間その瞬間の全てを感じ取り、携帯を置いて食事を味わい、風の冷たさや太陽の暖かさを感じ、自然の音に耳を澄ませて、今の状況すべてを受け入れて本来持っている感覚を研ぎ澄ます。瞑想みたいだな。

瞑想も流行ってるけど、世界を見渡せば常に死に直面している人もいるわけで、すべてを受け入れるなんて簡単にできるもんじゃない。ミサイル飛んできて家を破壊されて、食べ物がなく自分の子供が飢餓で死んで、どんなに瞑想とかマスターしてたとしても受け入れるなんて無理だろうな。逆に、そんな状況でも「私はすべてを受け入れますので、平気です」という人がいたら、頭イカレテルと思う。すべてを受け入れる事のできない自分を受け入れればいいのかな。


それで辿り着いた自分なりの答えは、悪い出来事でも、たまには良いように捉えることもできますよぐらいの緩さで良いんじゃないかなと思う。

例えば、自分が食器を割った時はストレスだけど、奥さんが食器を落として割って「はあ~」と言った時は、「割れていいんだよ。自分の身代わりになってくれたんだから」と言ってあげる事ができた時もある。


こうやって頭使っちゃって、脳みそでこうなんじゃないかなと考えてる時点でダメだね。瞑想よりテレビとかYoutubeとか見てる方が楽しいし。

修行が足りん!!


運も実力のうちと言う人がいるけど、運は運であって実力とは関係ないと思ってた。たぶんそれは、運任せや神頼みにしないで、自分から行動する過程で巡り合う偶然の出来事を、感覚を研ぎ澄ませて見逃すことなくキャッチして、それをどのように操って自分の味方に付けるかと言うことなのかなと思う、個人的見解でした。



通知表、取っておいてもしょうがないから、捨てる前にここにちょっと載せちゃう。

 

パイロットなんか無理って言われそうな成績。選ばれた人ぞできる優等生のイメージを壊したくないパイロットとか、私の旦那凄いですよ感を出すパイロット妻から叩かれそうだけど、そこのあなた、自信を持とう。こんな頭でもできちゃうぞ。特に中2の1学期の数学偏差値38.1。心配になるレベルです。ただ、英語は頑張りました。喋れたらカッコいいからという単純な動機で。数学はできないのに、高校で選択科目を数学にしてしまって0点を取ったことも。とんだ過ちを犯した。先生に「〇〇君、どうしちゃったの!?」とお叱りを受けながら、間違ったところ「すべて」の説明をしてくれたけど、ぜーんぜんわからなかった。数学って、どこか途中でわからなくなったらおしまい。前のステップが分かってないから次の問いに答えられない。

 

優等生だった親御さんたちは、子供の成績がイマイチだったら心配になるだろうな。うちは、末っ子の成績がイマイチだけど、これ見て大丈夫だろうと思える安心感。自分の成績が悪かった事は、こういうところでプラス。精神的やすらぎ。

 

「置かれた場所で咲きなさい」って、書道家が書いているYouTubeが出てきて、一瞬いい言葉じゃんと思ったけど、誰に置かれるんだ?とも思ってしまった。困難な状況でも頑張りましょうと言う事だとは思うんだけど。

 

もし自分が日本から出てなかったら、色覚異常(ほぼ正常)パイロットを受け入れない頑固親父たちのせいで枯れるだけだったので、良い環境を選んで自分から咲きに行かないとダメだよなとも思いながら、上手(書道)だなと見てました。

 

小学1年生、やる気なし。

 

小学2年生、頑張ってないと言うか、勉強頑張ろうと言う気がない。

 

4年生、まだ頑張ろうと言う気がない。

 

5年生、そろそろ気合い入れないとやばいよ。

 

中1、中の下か、下の上ぐらいで何とか踏ん張る。

 

中2、更に下り坂。

物理学で言ったら、坂を下ったら勢いが増して最低のところから登るエネルギーが蓄えられてるはずなんだけど。

S.S.が偏差値。英語頑張ってたつもりだけど、大した成績じゃないな。

 

中3は、先生が思うには航空高専に合格できる可能性が出てきたので、ある程度偏差値が上がったんだと思う。落ちたけど。

 

高校は、相変わらず英語だけは頑張って上位にいたものの、他の教科は中層をさまよってた。

 

何かを試す前に出来ないって決めなくていい。最低限、自分自身でやらないと決めるならまだいいけど、他人に出来ないと言われてやらないのは無しね。