当時を思い出しながら書いてます。
幼稚園にも通い。卒園。
そして小学校入学。
その間やっていた事と言えば
血液検査!
もちろん心臓や耳の検査も定期的に通います。
けどそれの心配はほとんどありませんでした。
あるけどファンコニー貧血の事がデカすぎて気にならなかった と言うのが正確かも知れません。
最初は2ヶ月に1回の血液検査でした。
N先生には10歳くらいまでに骨髄不全になるかも。で、移植が って聞いてましたので、正直3歳くらいの頃は まだ先の話だなぁ〜なんて考えてましたね。
しかし時間と言うのはあっという間に経つもの(笑)
最初7万くらいだった血小板の数値は徐々にではありますが 確実に下降線。
2ヶ月に1回だった血液検査は月イチになり、果ては毎週血液検査に行くようになりました💦
初めて血小板が3万台になった時。
ビビりました。
今だと3万あると おっ、結構あるじゃんって思うのですが(笑)
体調悪くなって入院もぼちぼちありました。
とは言え学校にも通ってましたし割と普通の生活をしてましたね。
その頃わたくし達夫婦はと言うと。
そうそう口に出す事はありませんでしたが、やはり常に不安と戦ってましたね。
精神的にもキツかった。
と、思う。
特に嫁さん。ある時期とてもとても辛かったと見てて思いました。
我が子の事で精一杯。
そんな中、家族に病気発覚。
当時嫁さんも仕事に行ってたのですが、病院へ家族を連れて行ったり、爺様や婆様の用事とか何やらかんやらと 全てウチに電話がかかってきとって、しょっちゅう仕事を休まねばならなくなり、職場に迷惑かかるしってことで泣く泣く退職する事に。
おばあちゃんがちょいと遠くの病院に入院したりもしてて、オレも荷物やらなんやらで行ったり来たりして忙しく

この頃 嫁さんは そんなこんなで家におらん事が多くなりました。
誰かがやらにゃならんのでそれはしょうがないにしても 側からみていて テンパってましたね(笑)子どもの事で結構いっぱいいっぱいだったのですが、家族の事が重なり かなり大変そうでした。
んで姉妹にもうちょいやってもらえん? みたいな話をしたのかな?
そしたら結構嫁さん本人にとってきついメールが来て、あの頃はしょっちゅう夜泣いてましたね。
気持ちはわかりましたよ。なんで私ばっかりって。悔しかったんでしょう。
けど一生懸命なだめてみたり(笑)その大変さを解ってあげとるよとアピールしてみたり(笑)
人には人の考え方があって、何を言われようとお前には一切関係ないよと。
要はお前が家族の事好きか嫌いかの話じゃけ。好きならだまってすればいいし、嫌いならするなと。
解ってもらおうと思ってもいかんし押し付けてもいかん。
やるのはお前の勝手じゃけぇの。
そんな話をしたなぁ。
開き直ったのか泣かんくなったね(爆)時間かかったけど(*゚∀゚*)
そんな多忙な日々が続きました。
嫁さんがおかしくならんかなとマジで心配しましたから。オレ。
鬱って言うのかな?ホントになるんじゃないかと思ってました。
嫁さんがダウンしちゃうと 娘っこにとって非常によろしくないですからね。
いつ入院になるか解らんかったし。
急に体調悪くなるかもしれんし。
なのでオレも出来る事はやってました。なるべく。
あまいっ!そんくらいの事で!とお叱りを受けるかも知れませんが、ホント ウチらには結構いっぱいいっぱいだったんですよ(爆)
ご勘弁(笑)
その頃から2人とも精神的にひと回りズ太くなれた気がする。
ホンマキツかったけ(笑)乗り越えれたと言うかなんと言うか。
嫁さん全然泣かんようになったし(笑)
オレもそうじゃけど、嫁さんにもとってもいい友達がおってくれたおかげかね

話聞いてもらったりしよったんじゃないかな?
知らんけど(笑)
そんなこんなで一歩ずつ。焦らず目の前の事を黙々とこなして行きました。
ちなみに金欠もこの頃から(爆)
稼ぎが悪くてすまん(爆)
嫁さんの稼ぎが無くなったけぇっていきなり金欠になるのもそれはそれでヤバイよね(笑)
いきなりの生活苦(爆)
他にもいろいろと予定はあったのですが全部未定に(涙)
金がないから(爆)
自分の中で計画していた独立やらなんやらも全て後回しと相成りました(笑)
お金は大切ですよ皆さん🤣
マジで苦しいけ

けどね、それはそれで楽しいもんだとマジで思ってましたよ!
負け惜しみじゃないよ(笑)
最悪で普通。
普通は最高!!!
そう思うようになりました!
とにかく、血液検査のたんびに神経すり減らしてました。
そんなこんなで忙しく時間は過ぎて行きました。
あの頃は何かとキツかったなぁ…
気持ちに余裕が全く無かったなと今は思う。
当時は必死(笑)
続く。