だいぶはしょって書いてますがお許しを。
当時の気持ちなど 思い出しながら。
2012年。
その時3歳です。
心房中隔欠損と動脈管開存の手術のタイミングがやってきました。
それはだいたい解ってた事じゃったので 不安ではありましたが早く治してもらった方がいいなと思ってました。
手術してもらうのに当然いろいろ検査しますよね^ ^
そこで心臓の主治医の先生からお話が。
「血小板の数値が低い」
正直ボクら夫婦は
ってな感じでした。

紹介状を書くのでそっち行って調べてもらってくださいとなり大学病院へ行く事になります。
そこでいろいろと調べてもらい、もしかしたら特発性血小板減少紫斑病と言う病気かもしれないと言われました。
けど どうも違うっぽい。骨髄検査もしましょうとなりました。
今思えば よく先生は骨髄検査に踏み切ったなと感心しています!感謝もしています!
おそらくですが、いろんなことが解ってないと骨髄検査なんてやらないですよね?多分。
可能性として怖い話も聞きました。
検査結果が出るまで何とも言えない不安が常に付き纏ってました。
検査結果の日。
先生から告げられた病名は
ファンコニー貧血
何それ?
はい?
正直 骨髄異形成症候群とかって名前を聞いたりしてて、単純に貧血って言われたので不安ながらも大したことないんか?とか思ったのを覚えてます。
それから先生のお話を聞きました。
良く覚えてないんですよ。
その時の事。
はっきりと覚えているのは待ちくたびれて嫁さんに抱かれて眠る娘っこと、額の寝汗。暑かったんじゃろうね(笑)
それと嫁さんの横顔。
この時 大人になってはじめて人前で泣きました。
我慢もできんし ただ泣きました。
けどすぐオレが泣いてどうするんやって泣きやみ、先生の話を必死で聞くのですが、やっぱり何も覚えてない(笑)
これは主観ですが、この時、このN先生に出会えたのはボクらにとって幸せでした!
ボクは個人的に、ファンコニー貧血の診断は、このN先生じゃなかったら見つけられてないんじゃないかと思ってます。
検査入院の時、入院病棟の先生にもそう言われたのを覚えています。
その先生が今のウチの主治医の先生です^ ^
このD先生の事も心底信頼しております-★
N先生は今は大学を辞められて開業されてます。
ボクも嫁さんも小児科ですが今もそのN先生に診てもらってます(笑)
何かと相談にも乗っていただいております!
その頃解った事ですが、耳も、心臓も、ファンコニー貧血の合併症でした。
メインにどデカイ病気が隠れてたんですね。
そっから当分の間、夜もぐっすり眠れない。
食欲がない。
肌は無茶苦茶荒れる。
意味解らん突然の吐き気に襲われる。
とにかく冷静じゃなかったと思います。
今すぐ仕事も辞めて家族で過ごそうとしてみたり。まぁそれは嫁さんに止められたんですけどね(笑)
いろいろ検索したのもこの頃でした。
基本的にネガティブな事しか出てません。
なので今ではほとんど見ないです。
たった一度だけ。仕事中にボクの師匠の奥さんにどうだったん?と話を聞かれ、もの凄い泣いた事もありました。
すぐに2階に逃げたんですけどね(笑)
自分がどんな感情だったのかも解りません。
ただ、グズグズしとったらいかんと思った瞬間がありました。
ある朝、やっぱりぐっすり眠れずに なんかしゃんとせんまま目が覚めて横を見ると、嫁さんが泣いてました。
聞きませんでしたがおそらく寝てないだろう事はすぐに解りました。
ほんで考えては泣いていたんでしょう。1人で。
それを見て思いました。
自分のお腹の中で身体に気をつけながら長い事育て、命がけで出産し、 乳をやったりオムツかえたり。
自分の時間も無く 常に一緒におるわけです。
そりゃオレなんかよりヤツの方がしんどいに決まってますよ。
そんな当たり前の事にも気付けないほどの精神状態だったんだと思います。
ボクの おそらくメンタルから来てるであろう体調不良は治りませんが、気持ちは定まりました!!!
コイツらをオレが笑わさんで 誰が笑わすんやっ!!!
あの朝そう思った事を凄く覚えてます。
そしてそれをするのが自分のやるべき事だと勝手に確信!!!(笑)
まぁ的は外れとるよね(笑)
じゃけぇって何をしたらいいのか解らないままなのですが。
とは言え これも一歩前進ではあります。
血小板が低い理由も解った!
さぁいよいよ心臓の手術です!!!
続く。